こちらの厳島神社は、JR唐津線多久駅の北西500mほどの佐賀県多久市北多久町大字小侍荕原(あざみばる)地区に鎮座されます。
国道203号線「北多久町荕原」交差点の西方250mほどの場所にある、「荕原中町」バス停付近の押しボタン式信号機から民家の間を北に延びる路地を53mほど入った右手の小山の上に位置しており、路地のすぐ横に設けられた石段を上り一の明神鳥居をくぐると、竹林の間を小山の上へと向かう石段参道が表れます。
石段を上る途中には風化が著しい二の鳥居が立っており、上りあがった先の境内入口に開放感のある御堂が建立されており、社殿は境内の北側に建立されているものの拝殿はなく、赤く塗られた銅板葺きの本殿と石灯篭と仏堂が建立されていました。
多久市の資料によると、1387年に安芸国宮島弁財天の分霊を受けて創建したと伝わっていますが、本殿の石祀には1729年開基とあると記されています。御祭神は田心姫命、湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神です。
参道入口付近は国道が通っていて神社の背後にはゴルフ場があるものの、そんな喧騒をまったく感じさせない落ち着いた雰囲気を醸している古社でした。
参道入口に立つ一の明神鳥居は昭和18年7月20日建立。
鳥居には「厳島神社」の神額が掛かります。
一の鳥居をくぐるとすぐに石段参道が続きます。
参道途中にある二の鳥居。
鳥居には木板で造られた神額が掛かっています。
また、貫の部分には角材が嵌め込まれており、おそらく貫の石材が風化が進んで崩壊したため掛かっていた神額も壊れてしまったのではないかと思われます。
柱の刻銘を見ると建立されたのは大正10年11月とあります。
柱の表面にはまるでかさぶたのように表面が浮いている部分が見られ、使われている石材の材質にもよるのでしょうが風化の進行が激しいように感じます。
最後の石段です。
境内入口。
本殿。
鎮座地 佐賀県多久市北多久町大字小侍荕原
御祭神 田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
沿 革 1387年当地の住民の代表数名が安芸国宮島弁財天に参詣し分霊を乞うて創建した
多久市史第5巻より
と伝わるが社内の石祀には1729年開基とある。
昭和18年7月建立の石灯篭。
御仏堂。
御堂。
手水鉢。
静けさが染み入る参道。
神社巡りをしていると、拝殿の片隅に清掃道具が保管してあるのを見かけることが多々あり、そのたびに誰が掃除しているのだろうと考えることがあります。
おそらく神社の近くに住まわれる氏子さんなのでしょうが、本当に頭が下がる思いです。
ただ、寺離れも進むこの時代を客観的にみると、いずれこうした慣習も薄れていく時代がくるのではないかと危惧せずにはおられません。
どうかこの慣習はずっと永遠に受け継がれていってもらいたいものです。
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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