鬼神社 佐賀県多久市東多久町大字別府仁位所

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多久市の神社

こちらはGoogleマップで見つけた変わった名前の神社です。

その名も「鬼神社」。

Googleマップでは「鬼神神社」とありましたが、多久市の資料では「鬼神社」とありましたのでここでは鬼神社としてご紹介したいと思います。

場所はJR唐津線東多久駅の北およそ600mほどの距離、多久市東多久町別府仁位所地区の中央付近に鎮座されていますが非常にわかりにくかったです。

国道203号線の、東多久駅前交差点北の東多久駅の前の町道を西に行くと直ぐに踏切があり、その踏切を渡って道なりに約600mほど北上すると右手の小川沿いに位置しております。

境内入口に立つ台輪鳥居。

鳥居に掛かる神額には「鬼神宮」とあります。

鎮座地 佐賀県多久市東多久町別府(北緯33度29分08.912秒・東経130度14分05.282秒)

御祭神 不明

御由緒 大伴狭手彦と松浦佐用姫の間に生まれた百合稚(ゆりわか)が鬼退治の勅命を受け、鍛冶に太刀を作らせ、この太刀で鬼退治をしたので、1470年、一説には807年、この鍛冶を神として崇め祀り、鬼鍛冶大明神としたのが誤って鬼神大明神になったと伝えられる。
現在は本殿と拝殿からなる。

多久市観光振興計画(平成23年1月)より

多久市の資料に「百合稚伝説と鬼神社」とあったので、ブログを書くにあたって読んでみました。

多久市に残る松浦佐用姫伝説の中で、百合稚は松浦に来ていた大伴狭手彦と篠原長者の娘である佐用姫の間に生まれた子どもであり、この鬼神社がある東多久町別府辺りを所領していたとのことです。

ある時、百合稚は朝廷の命によって筑前国の異賊征伐(鬼退治)に向かったのですが、慣れない船軍の戦いに疲れてしまい玄界島で寝入ってしまったそうです。おそらく病気になり伏せたということなのでしょう。

これを見た家臣の別府太郎宗冬は、主人である百合稚を玄界灘の孤島に置き去りにして別府に帰り、百合稚の館を奪って居住したとあります。

なので、今でも別府川の付近には別府殿屋敷という地名が残っていると資料には書いてありました。

いわゆる謀反というやつでしょうか。その後百合稚がどうなったのかは分かりませんが、なんだか気の毒な話ですね。

社殿。

向拝下には「鬼」の文字の細工が掛かっていました。

銅板葺き流造のしっかりとした造りの本殿です。

石祠群。

気になったのがコレ!

石祠群の後ろにいらっしゃるのですが、ひょっとして肥前狛犬?

最近はなんでもかんでも肥前狛犬に見えてきて仕方がないですw

御神木。

鬼神社という変わった名前の神社でしたので、本殿の中がとても気になりますw

どんなご神体が祭ってあるのでしょうか。立派な本殿だったので見れる機会があればいいな…。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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