肥前狛犬 多久市 その1

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多久市の神社

肥前狛犬。

江戸時代初期から半ばにかけて、肥前国の石工たちによって制作された独特の作風の狛犬のことをこう呼びます。

現在に見る狛犬とは違い、目鼻や耳に尾などといった装飾が施されることは少なく、ほぼ直線と曲線で表現されたものではあるのですが、なぜか不思議な魅力があるのです。

その魅力にすっかり憑りつかれてしまい、今では神社を参拝させていただくたびに肥前狛犬の姿を探すようになってしまいましたw

肥前狛犬は佐賀県を中心に、長崎県や熊本県そして福岡県の一部にしか分布していません。

その希少さゆえかコレクターによる盗難もあるようです。

私のブログでは、管理されて盗難の心配がない肥前狛犬は神社名を挙げてご紹介しておりますが、盗難の恐れがある場合は名前や場所は伏せてご紹介いたしますので、どうぞご理解いただきたいと思います。

こちらは、多久市内の某所にある御堂です。車で走行中に偶然見かけたのでお参りさせていただきました。

足を横向きにしなければ登れないような、幅の狭い落ち葉に埋もれた石段を登っていきます。

するとそこには石祠が2つありました。

そして一つの石祠の前にはあのシルエットが…。

まさしく愛しき肥前狛犬ちゃんです!!

阿形も吽形も、地面にどっかりと座っているように造られていますが、可愛そうなことに吽の方は頭がありません。

しかし、阿の方は少し顔を上げてニッコリとほほ笑んでくれているようで、大きな鼻がとっても特徴的です。この姿勢で長い年月をずっと護ってきたのでしょう。ホントに健気ですねw

(※多久市民俗歴史資料館発行の「多久の肥前狛犬」によると、この画像は阿吽の位置が逆になっているようで、向かって左側の頭部が欠損している方が阿形で右側の方が吽形のようです。)

 大権現石祠に奉納されている肥前狛犬は、向かって右側は頭部と前肢の一部を欠き、左側の狛犬も口の部分が欠損し、阿吽像の判断はできない。石材が軟らかい現地産出の砂岩にあることに起因する。
 頭部を欠損した狛犬は、前肢が独立した縦長の形状で、割竹状の前肢を持ち、足先を大きく造り出し指先を表現している。前肢間の胸前は平板化し、後肢とは浅い作りで連結している。背は緩やかな曲線を描き、腰部から尻部は垂直に近い曲線で地面に接し、尾は持たない。
 左側の狛犬は側面から見ると大きな尻をどっしりと地につけ、前肢の足先を前に出した三角形に頭部をつけた形状である。側面や背面に鑿の跡を残している。
 頭頂は丸みを持ち角は持たない。たて髪は素毛で背に段差はない。耳は横長の内耳を横に向けている。盛り上がった眉の下に杏仁形の大きな目玉をやや上向きに浮き彫りしている。目の間には三角形の大きな鼻が鼻孔を前に向けている。頬の細工は見られない。口部は欠損している。喉の部分にやや膨らみを持つ。前肢は割竹状で前肢間の胸前は荒い彫りで、未完成を思わせる。前肢と後肢は浅彫りで連結している。腰から尻部に掛けて肥大化し、どっしりとした重量感がする反面、粗雑な造りである。背稜は施さず、尾は大きな剣葉状の突起を持つ。
 石祠と同時期の頃に製作されたものであろう。

多久市民俗歴史資料館発行「多久の肥前狛犬」より抜粋

祀られていたのは「大権現」様でした。「貞享元甲子十一月吉日」の刻銘があります。船山太郎兵衛を願主として1684年11月に建立されたとのことです。

権現というのを調べてみると、仏教の仏や菩薩が衆生を救うために神に姿を変えて現れることで、日本の本地垂迹説に合体して日本固有の神々を呼ぶ神号だということでした。

山岳信仰の対象として修験者によって開かれた山に祀られることが多いそうです。

山神宮?と読めるようですが…よくわかりません。

山間の集落の片隅に祀られていた大権現をずっと守り続けてきた肥前狛犬たち。

その傷んだ身体を癒すこともなく、これからもその身が無くなるまで自分たちの使命を果たしていくのでしょうね。

歴史資料館から出版されている「多久の肥前狛犬」という冊子を読むと、多久市内には65体の肥前狛犬が確認されているということでした。

ということは、まだ見ぬ肥前狛犬ちゃんがまだたくさんいるということだから、もっともっと探し回らねばと気持ちをあらわにしましたw

そんな肥前狛犬たちに、こうしてスポットライトを当ててやることで少しは彼らの励みに繋がればいいかなと思います。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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