こちらの大堂神社は、JR長崎本線佐賀駅の南東およそ7.8kmの距離、佐賀県佐賀市諸富町大字大堂地区に鎮座されます。
福岡県大川市との県境近く、県道20号佐賀大川線と県道211号市武諸富線と交わる「堂地」交差点を南下し、佐賀江川沿いを1.3キロメートルほど走行してから西に500メートルほど、大堂の集落の東の外れに位置しています。
周囲には広大な田畑が広がり、農道と張り巡らされたクリーク(農業用水路)とが相まって、鎮守の森は見えているのにも関わらずなかなか辿りつかない。まるで迷路にでも入り込んでしまったかのような不思議な感覚に陥ってしまいましたw
全部で三基の鳥居が奉納されていますが、三の明神鳥居は県内唯一の鋳銅製の鳥居で重要文化財となっています。
入口の三の鳥居をくぐり、太鼓橋の神橋を渡って神門を通ると、牡丹の花の彫刻が美しい塩田型の狛犬が待ち構えています。阿形が前肢を上げて立ち上がり、吽形は逆立ちをしているという組み合わせですが、狛犬灯篭でよく見かけるものの参道狛犬では初めて見ました。
境内には、岡崎型の狛犬が守護する唐破風付きの瓦葺き入母屋造り拝殿と、銅板葺き流造の本殿が建立されています。御祭神は事代主神、大山祗命、豊玉姫命、三女神、平将門。その他にも合祀された菅原道真外四柱が祀られます。
神社遠景。道路を一本、入り口を間違えてしまったようですw
画像の中央にある鎮守の森が、私たちが目指している「大堂神社」です。
一の鳥居。
一の鳥居に掛かる「大堂社」の神額。
二の鳥居。
二の鳥居の柱には「大堂六所大明神」の銘が刻まれていますが、これはどういうことなのかな?
三の明神鳥居。
佐賀県重要文化財(建造物) 昭和四十六年六月二十三日指定
胴造明神鳥居 寛永一七年の銘あり 江戸時代この銅造鳥居は、県内唯一の鋳銅製明神鳥居であり、島原の乱に出陣した初代小城藩主鍋島元茂が、彼の産土神である大堂神社に戦勝祈願成就に寄進したもので、鳥居中央には鍋島家の家紋を配し、鳥居左柱には、寛永十七年(1640)の銘が刻まれている。歴史的な意義ばかりではなく鋳銅技術史の上からも価値が高い。
銘文中に見られる「武運彌盛」「子孫繁衍」の文字は、鍋島家の末永い繁栄を願う元茂の心が表れたものと推察される。鳥居左柱銘文
高望的裔 平氏僣王 受身佗土 示化此方 大士乗跡
明神放光 威獰雷走 使令薙翔 才消再拝 乃降千祥
華養新鑄 丹心淡彩 低音以彰 惟善錐少 所求孔将
六處常耀 一列永康 武運彌盛 眉壽無疆 子孫繁衍
謨烈奉揚
寛永十七年庚辰年二月十五日ー後略ー
参道。
神橋。4径間桁橋の太鼓橋で、親柱には「宝暦十三年癸未二月」の刻銘が入ります。
神門。
手水舎。
そして、神門をくぐった後に現れた狛犬さんはの阿形はチンチン、吽形は三点倒立という狛犬さんで、思わずマーちゃんと二人で笑ってしまいましたw
こういうタイプの狛犬さんが、灯篭の上に載っているのを見たことは過去にありましたが、普通に狛犬として見るのは初めてです。
台座の上に岩を置きそこに狛犬を配置しているので、これも岩狛の一種だと思われます。
年代も石工名もわからないのですが、狛犬の身体にも牡丹の花と葉が彫られているのを見ると、おそらく塩田型の狛犬さんなのではないでしょうか。牡丹の細工が本当に見事です。
唐破風付き入母屋造りの拝殿。
拝殿を護るのは岡崎型の狛犬さんです。
鎮座地 佐賀県佐賀市諸富町大堂695番地
“探し神社誌要”より引用
御祭神 事代主神 大山祗命 豊玉姫命 三女神 平将門
彦火火出見命 七夕姫命 和多津見命 菅原道真 應神天皇
御宇多天皇の御字、當肥前の大守小田祐光、夢に、老翁の弓箭を手にし曰く、吾は此地鎮守の神なり、故に國土を衛護し萬民を鎮撫すること久しと、其聲雷の如し、驚き覚めて室外を見て白羽の矢ありたるを知り之を納め置きたり、その部下諸富修理太夫なるものも亦同様の霊夢に威す、兩人相談して太宰少貮政祐に聞す、政祐も亦同様の霊夢を見たり、これ正しく神勅なりとて、即ち社殿を建築し之を祭る、海潮の侵入を避け五穀の豊饒を祈る、元弘の役にも霊験あり、又慶長元和の役にも霊験ありて、特に社領の加增あり、明治四年二月村社に列せられ、大正七年八月郷社に昇格せり、祭神彦火火出見命外四柱の神は無各社合祀により追加す。
拝殿向拝下の様子。「大堂社」ではなく「照明殿」という神額が掛かってます。
拝殿の中の様子ですが、よく見ると拝殿の中にも「大堂社」ではなく「六所宮」という神額が掛かっています。
「六所宮」というのを調べてみると、福岡県筑後市の羽犬塚(はいぬづか)に六所宮という神社があるようで、そこには6柱(天照大神・住吉大神・霧島権現・高良大神・恵比寿神・春日大明神)の神様が祀られていることから六所宮と名づけられているそうです。
諸富町史によると、同じ大堂地区にある「太田神社」に大堂六所宮の神霊を分祀したという記述があるので、ということは「大堂社」は昔は「六所宮」と呼ばれていたみたいですね。
なるほど、それで二の鳥居に「大堂六所大明神」と刻まれていた理由がわかりました。ひょっとすると拝殿の向拝下に掛かっていた、あの「照明殿」という神額にも何か意味があるのかもしれませんね。
透かし塀に囲まれた銅板葺きの本殿。
神庫。
豊玉姫命社。
末社群。
樫ノ森稲荷社。
境内社。
高良玉垂宮(左)と稲荷社(右)。
今回は鋳銅製という珍しい鳥居と巡り合うことができましたし、愉快な狛犬さんとも出会えました。
次はどんな出会いがあるのでしょうか、楽しみです。
それでは、今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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