国道444号大詫間光法停車場線、佐賀市川副町早津江の中津地区の早津江川付近の畑地の境目辺りに鎮座されておりました。
鎮守の森は見えるのですが、どう行けばたどり着けるのかが分からず、やっとたどり着いたら鋭角に曲がる道路の中に鳥居が立っているのを見て思わず笑ってしまいましたw
周りには穏やかな田園風景が続いていて、本当に時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥ってしまいそうです。

参道。現代ではすっかり生活道路となっているようですね。
明治26年建立の一の台輪鳥居には「厳嶋社」の神額が掛かる。

鎮座地 佐賀県佐賀市川副町早津江津2017
御祭神 伊都岐島姫神 多紀理比売命 多岐都比売命
合祀社 天満宮 若宮神社 八大龍王社 元厳島社 海童神社(明治44年2月12日に合祀)
由緒
境内の由緒書きより
厳島神社の祭神は「伊都岐島姫神」(いつきしまひめのみこと)「多紀理比売命」(たごりひめのみこと)「多岐都比売命」(たぎつひめのみこと)の三柱の神であります。
この神社は川副町字中津、吉村、和崎の産土神社(うぶすなのかみ)であります。
勧請(かんじょう)は詳(つまび)らかではありませんが元禄初年の頃、前の鎮守の神「辯財天」(べんざいてん)が怒涛(どとう)に打ち流されて諸富町の大中島に漂着されました。大中島の人は神様が流れておいでになったと拾って祀り(まつり)ました。中津の人びとはこれを取り戻そうとしましたが、大中島の人はこれを聞きません。ここにひと悶着(もんちゃく)が起こりました。そこで元禄十二年(西暦一六九九年)当時の三代藩主鍋島綱茂公は佐嘉城内の向陽軒に祀ってあった社(やしろ)をこの地に遷して厳島神社を建立し潮土居の安全を御祈願なされました。それ以来お供米として毎年米一石ずつをお供えになったと伝えられています。

二の鳥居。明神鳥居かと思われますが、貫の部分に楔がないのがちょっと気になりますが…。

「厳嶋神社」の神額が掛かります。

手水舎と倒れ掛かった松の木。つっかえ棒で支えられながらも、負けずにそのまま成長していっている様子が健気ですね。

拝殿。
そして、社殿には不釣り合いな真新しい狛犬さんです。

本殿。

境内社だったと思われますが、どうやら現在は倉庫として使われているようです。

末社群。

御神木。
どちらのお社を参拝させてもらっても思うことなんですが、清掃されていない神社なんて一つもお目にかかったことがありません。
こうした氏子さんたちの毎日の管理には本当に頭が下がる思いです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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