こちらの「大堂(おおどう)神社」は、県道20号佐賀大川線の県境近く、県道211号市武諸富線と交わる堂地交差点を南下し、佐賀江川沿いを1.3キロメートルほど走行してから西側に500メートルほどの場所に鎮座されておられます。
周りは広大な田畑に囲まれており、遠くに見える鎮守の森がなかなか近くならず、またいくつもの川がありどこから曲がればそこにたどり着くのか分からなくなるような、ちょっと不思議な感じを覚えましたw

神社遠景。道路を一本、入り口を間違えてしまったようですw
画像の中央にある鎮守の森が、私たちが目指している「大堂社」です。

一の鳥居。

一の鳥居に掛かる「大堂社」の神額。

二の鳥居。
二の鳥居の柱には「大堂六所大明神」の銘が刻まれていますが、これはどういうことなのかな?

三の鳥居。

この銅造鳥居は、県内唯一の鋳銅製明神鳥居であり、島原の乱に
境内案内板より
出陣した初代小城藩主鍋島元茂が、彼の産土神である大堂神社に
戦勝祈願成就に寄進したもので、鳥居中央には鍋島家の家紋を配し、
鳥居左柱には、寛永十七年(1640)の銘が刻まれている。歴史的
な意義ばかりではなく鋳銅技術史の上からも価値が高い。

参道。

神橋。

神門。

手水舎。
そして、神門をくぐった後に現れた狛犬さんはの阿形はチンチン、吽形は三点倒立という狛犬さんで、思わずマーちゃんと二人で笑ってしまいましたw
こういうタイプの狛犬さんが、灯篭の上に載っているのを見たことは過去にありましたが、普通に狛犬として見るのは初めてです。
台座の上に岩を置きそこに狛犬を配置しているので、これも岩狛の一種だと思われます。
年代も石工名もわからないのですが、狛犬の身体にも牡丹の花と葉が彫られているのを見ると、おそらく塩田型の狛犬さんなのではないでしょうか。牡丹の細工が本当に見事です。

瓦葺き入母屋造り唐破風付きの拝殿。
そして拝殿を護るのは、おそらく二代目と思われる岡崎型の狛犬さんです。
鎮座地 佐賀県佐賀市諸富町大堂695番地
御祭神 事代主神、大山祗命、豊玉姫命、三女神、平将門
沿革 当社は人皇第91代後宇多天皇の御宇肥前の太守小田祐光は夢に老翁の弓箭を手にし告げ
「さがの歴史・文化お宝帳」より
て、吾はこの地鎮守の神、故に国土を衛護し万民を鎮護すること久しと、その声雷の如
く驚きさめて室外を見れば白羽の矢がありこれを納め、その部下諸富修理太夫も同じ霊
夢をみたので両人相談して太宰少弐政祐にきいたところ政祐も同じ夢をみたと、これは
正しく神勅であるとし、社殿を建てこれを祀り大堂六所大明神と称した。時に弘安2年
11月29日で社田53町余を拝領した。
鍋島日峰公蓮池に居城し氏神として敬信し寛永5年(1623)現在地に社殿を建立した
(※)。これが今の大堂神社である。
明治4年2月15日村社に列せられ、大正7年8月2日郷社に昇格した。
明治39年4月神饌弊帛料供進指定

拝殿向拝下の様子。「大堂社」ではなく「照明殿」という神額が掛かってます。

拝殿の中の様子ですが、よく見ると拝殿の中にも「大堂社」ではなく「六所宮」という神額が掛かっています。
「六所宮」というのを調べてみると、福岡県筑後市の羽犬塚(はいぬづか)に六所宮という神社があるようで、そこには6柱(天照大神・住吉大神・霧島権現・高良大神・恵比寿神・春日大明神)の神様が祀られていることから六所宮と名づけられているそうです。
諸富町史によると、同じ大堂地区にある「太田神社」に大堂六所宮の神霊を分祀したという記述があるので、ということは「大堂社」は昔は「六所宮」と呼ばれていたみたいですね。
なるほど、それで二の鳥居に「大堂六所大明神」と刻まれていた理由がわかりました。ひょっとすると拝殿の向拝下に掛かっていた、あの「照明殿」という神額にも何か意味があるのかもしれませんね。
透塀(すきべい)に囲まれた銅板葺きの本殿。

神庫。

豊玉姫命社。
末社群。

樫ノ森稲荷社。

境内社。

高良玉垂宮(左)と稲荷社(右)。
今回は鋳銅製という珍しい鳥居と巡り合うことができましたし、愉快な狛犬さんとも出会えました。
次はどんな出会いがあるのでしょうか、楽しみです。
それでは、今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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