金刀比羅神社 佐賀県佐賀市金立町大字金立大門

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佐賀市の神社

こちらの金刀比羅神社は長崎自動車道大和ICの東北東およそ2.8kmの距離、佐賀県佐賀市金立町大字金立大門地区に鎮座されます。

県道31号佐賀川久保鳥栖線の「正規神社入口」交差点を北上し、長崎道の高架下を過ぎたところにある「弘学館中高等学校」の西側の金刀比羅山の頂上付近に位置し、境内には入母屋造りの拝殿と本殿が建立され、造立年代不詳の“はじめ”と思われる狛犬と砥川型の岩乗り狛犬が守護しています。

拝殿の西側にある境内社の宮地嶽神社の前に、バラ科の常緑高木の「博打木(ばくちのき)」が植えられています。樹皮が絶えず剥がれ落ちるので、博打に負けてまる裸になるのにたとえて”博打木”と呼ばれているそうですが、珍しいものを見ることができました。

社頭。

石段参道入口に建立された一の鳥居。

「金毘羅神」の神額が掛かります。

注連縄で確認することができないのですが、左の柱に「丁未十一月吉祥日」の刻銘が入るのは目視できました。

石段参道が続きます。

参道の途中にある社務所。

最後の石段。

境内入口に奉納された台輪鳥居。

手水舎。

二の鳥居には「金刀比羅神社」の神額が掛かります。

鳥居の足元に奉納された“はじめ”と思われる狛犬。阿形の「ニッ」と笑ったような表情が何とも言えませんw

鳥居をくぐった先に奉納されているのは砥川型の岩乗り狛犬です。

台座には「万延元年庚申 小熊村 石工 傳十」の刻銘が入ります。

鳥居の裏側に隠れるように安置されている神馬さんですが、左側の像は馬ではなく狐さんのようにも見えます。

千鳥破風唐破風向拝付き入母屋造りの拝殿。

向拝下の様子。

拝殿の中の様子。「金刀比羅神社」の社号額と鍋島藩縁の鍋島杏葉紋の拝殿幕が掛けられています。

見事な天井絵。

御祭神
 神産巣日大神、大国主大神、多紀理津毘売神、少名彦大神、事代主大神、建御名方大神、金山彦大神

由緒
 金刀比羅神社は、称徳天皇の御宇天平神護元年(七六四)肥前国々司が四国金刀比羅宮御分神を肥前国金刀比羅宮総座の宮、金刀比羅大将大権現と尊称して奉祠以来、豪族、武将庶民の崇敬を集めておりましたが天正三年戦火によって堂宇は灰燼と化し天正五年竜造寺隆信が社殿を再建して以来、竜造寺家、鍋島家の直願神社として海上守護神、農業殖産神、医薬祖神、福徳円満結縁の神として、祈願立願の崇敬篤くなり、藩祖鍋島直茂は、朝鮮の役、島原の役等の解願成就奉賛の為、山林七町余りと観音寺一乗院一宇を別当寺として建立し、又五代藩主鍋島宗茂は享保十七年若君宗教(六代藩主)の大病平癒、祈願成就奉賛の為、荘厳美麗な神殿を建立して権現原より当山へ遷宮されると共に併せて佐嘉城本丸に奉祀中の東照宮も当山へ遷宮して本支藩挙って金宝を奉納するなど崇敬の誠を尽されて参りましたが明治維新によって、山林社地は境内地若干を残して上地となり以後、崇敬者の奉賛により現在に至っております。

案内板より

本殿。

境内社の宮地嶽神社。

向拝下の様子。

社殿の中の様子。

 宮地嶽神社は、鍋島直正10代藩主時代の天保13年福岡県福間鎮座の御分神を金刀比羅神社に
合祀され、明治元年、明治天皇江戸城御遷都を記念して社殿を建立遷座されました。
 勝負学芸の神、商売繁盛の神として明治26年に社殿改修を経て今日に至ります。今現在も多くの崇敬者の方から奉賛を得ております。

金刀比羅神社公式サイトより引用

博打木。

神社の公式サイトによると、大正2年に台湾に旅行した人が記念に持ち帰った20㎝余りの苗木を植栽したものだそうで、この葉を蒸留したものは咳止めとして用いることができるそうです。

末社群。

松乃森稲荷神社鳥居。

松乃森稲荷神社社殿。

松乃森稲荷神社社殿の中の様子。

境内から望む有明海。

参集殿。

鍋島藩五代目藩主宗茂公の嫡男、六代目藩主の宗教公の大病の際に平癒祈願奉賛の為この地に社殿が建立されたそうです。そういうこともあり、海上安全や大漁祈願だけでなく病気平癒の神様としても崇敬されているそうです。

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