こちらの今福神社は松浦鉄道今福駅の西方およそ300kmの距離、長崎県松浦市今福町東免地区の街なかに鎮座されます。
国道204号線「今福」の交差点の東にある松浦市立今福小学校の南側、松浦鉄道の踏切を渡った先にある小丘の上に位置しています。
長崎県道146号上志佐今福停車場線を東へ300m、橋の手前から南に川沿いを200mほど行くと一の鳥居が建立された参道入口がありますが、その参道は災害の為に途中で途切れており、社殿へはそこから南へ100mほど行った踏切先の裏参道から行くことになります。
境内入口には寛文十年に造立された肥前鳥居が、境内には入母屋造りの拝殿と本殿が建立され、拝殿前には「祓いの獅子」と「叶いの狛犬」が奉納されています。
嵯峨天皇の血を引く松浦党党祖の源久公が、応徳元年に滋賀県多賀の大明神から伊弉諾尊と伊弉冉尊のお神霊を勧請して創建されたと伝えられます。
境内入口の石碑には、松浦家の家紋の「三つ星」とともに今福神社が刻んであります。
松浦党党祖の源久(松浦久)公が今福の「ぎぎが浜」に上陸後、江州多賀社(現在の多賀大社)の分霊を勧請してこの神社に置き、そのまま年を越したことから「歳の宮」とも呼ばれているそうです。
一の鳥居。神額には「今福神社」と刻まれています。
こちらの参道階段を登りましたが災害で途中の参道が崩落しており、社殿へは裏参道から行くように案内されていました。
裏参道へは、参拝者専用駐車場のすぐ先にある松浦鉄道の人柱踏切を渡ってちょっと行きます。
やがて民家の先の右手に社殿へ行く参道階段が見えます。
階段が苦手な方は左側の坂道を上ると境内に到着します。
階段は狭い部分があるので、参拝後は道路を使われた方が無難かと思います。
社頭。
カラーコーンとバーがあるのは、境内までの参道へ立ち入らないようにしているためです。
そこから先は崩落しているのでチョー危険です。
二の肥前鳥居です。
平戸松浦藩内には鎮信鳥居と呼ばれる肥前鳥居がありますが、こちらは紛れもなく肥前鳥居と思われます。
鎮信鳥居というのは、鎮信公が肥前鳥居をベースにした独自の鳥居を寄進したことから始まるのですが、詳しくは「宗像神社」へ参拝したときのページでご覧ください。
寛文10年(1670年)建立。
手水舎。
拝殿前の注連柱(しめばしら)。
そして拝殿前には狛犬さんも。
こちらでは阿形は「祓いの獅子」、吽形は「叶いの狛犬」としてそれぞれのお役目を持っているようです。
祓いの獅子:「失敗事や反省事のあるかたはこの獅子の口に手を入れ再び繰り返すことのないよう誓いを立ててください。なお牙が鋭いので気を付けて行ってください。」
叶いの狛犬:「体に不調や不具合があるかたはその箇所とおなじところに手を当て祈りをこめてください。本人が来られない場合は代理で行っても結構です。」
狛犬に置かれた案内板より
おみくじが結ばれた蘇鉄。
拝殿。
アルミサッシの和洋折衷。
本殿。
福徳稲荷の拝殿。
福徳稲荷の本殿。
七郎神社の鳥居。
七郎神社と由緒書き。
御神木。
はい、思った通りとってもいい感じの神社でしたw
松浦党はその昔、源平合戦の壇ノ浦の戦いで平家方の水軍の主力となった海の武士団だったということです。
が、私はそれよりも、日本史で習った鎌倉時代の元寇の時に活躍したのがこの松浦党だと知り、何とも感慨深いものがありました。
おそらくこちらの今福神社に来ることがなかったら、こういう歴史も知らないままで終わったのでしょうね。そういう意味ではとてもいいことをやっていると自画自賛ですw
さて、次はどんな神社と巡り合うのかな?
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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