和田八幡宮 福岡県粕屋郡篠栗町大字和田

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こちらの和田八幡宮は、JR福北ゆたか線門松駅の北東およそ1.5mほどの距離、福岡県粕屋郡篠栗町大字和田地区の和田団地の東側に鎮座されます。篠栗町の南蔵院に参拝した時に寄らせていただきました。

九州自動車道福岡ICを降り、国道201号福岡東バイパスの焼町交差点から東へ1.5kmほどの和田橋交差点を左折して200m、篠栗九大の森の南側の小丘陵に位置します。

2基の鳥居と2対の狛犬が奉納されており、境内に入った左側には“太陽を神と仰ぎ生活していた時代の暦か方位を表す地図”といわれる「刻線の石」という石があり大切に保存されています。

参道入口に立つ一の明神鳥居。

鳥居に掛かるのは「八幡宮」の神額。

神橋。

庚申尊天。

塔の右側には建立年の刻銘が入っていると思われますが、読み取れませんでした。塔の裏には「寛政十年午九月吉日再建」の刻銘が入っています。

参道入口横の御神木の脇に「貴船神社」の社号標が建立されています。

石段参道。

二の明神鳥居。

二の鳥居にも「八幡宮」の神額が掛かります。

境内入口の右側に建立されている阿弥陀堂。

案内石碑。

一、御祭神 三柱
  應神天皇 神功皇后 武内宿祢
二、境内神社 五柱
  菅原神社 菅原道真公 学問の神様
  紅葉神社 軻遇槌神 防火盗難の神様
  金刀比羅宮 大物主命 交通の神様 病気平癒の神様
  祇園社 達速須佐之男命 厄除の神様
  薬師堂 薬師如来 医薬の神様
三、御社殿
  本殿 流破風造高欄付銅板葺
  弊殿 切屋根入棟造瓦葺
  拝殿 入棟流破風造瓦葺
四、境内地 一、二八九坪一七

五、御由緒 夫、此清浄なる聖地は、古代宗廟の鎮座し給ふ旧社跡なり。そもそも和田八幡宮の縁起をたずぬるに、草創は極めて遠く、古記により往昔天平17年の頃(西暦七四五年)和田村民の発祥にはじまり氏神として熱く奉斉せしも天正十四年八月(一,五八六年)時の関白秀吉九州一統の砌り薩摩勢乱入し、神社仏閣を焼き乱暴至らざる所なり。
其の際当社も兵火に罹り其の後社殿復興礼典を奉事せり。(慶安年間(一,六四八年)貞享五年(一,六八八年)当時実証の神器あり)
寛延三年(一,七五〇年)庚午歳黒田藩主六代目松平筑前守少将継高公此社地に社殿を造営せられ武運長久大祈祷の礼典を厳修尊崇ありしもしばしば霊験あり。
皇国政体維新の砌り規則改正に依り明治五年(一,八七二)十一月三日村社に定めされ愈々厚く本村の産土神と崇敬し奉らんと、乞希くは神明此誠志を照覧あれ、国家安泰と和田村民の幸福を無窮に護らせ給えと。

刻線の石。太陽を神と仰ぎ生活していた時代の暦か方位を表す地図といわれている。

境内の注連柱前の狛犬。

昭和30年2月生まれの築後型の狛犬さん。

秋葉大権現。

祗園社。

手水鉢。

切妻造り妻入り向拝付きの拝殿。

拝殿前には構えと脚掛けの岩狛さんが居ます。

「明治三十一年二月吉日」「石工 前川潮吉」の刻銘が入ります。砥川型の岩狛のように見えますが…。

拝殿の中の様子。

銅板葺き流造の本殿。

薬師堂。

和田八幡宮式年遷宮記念碑。

鐘楼。

天神様。

天満宮と金比羅宮。

土俵。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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