こちらの宗像神社は松浦鉄道たびら平戸口の東方およそ1.1kmの距離、長崎県平戸市田平町里免下里地区の街なかに鎮座されます。
国道204号線沿い、田平町下亀免の一関バス停から平戸方面に250mほどのところから北へ、田圃の中の道路を500mほど行った先にある四差路を西に200mほどのところに位置します。
道路のすぐ脇に正式には鎮信鳥居と呼ばれる肥前鳥居が建立されており、参道の先の七段ほどの石段を上がったところに神門、その先にある十段の石段を上がった先に入母屋造りの拝殿と本殿覆屋が建立されています。
石段前には造立年代不明の塩田型の狛犬に似ている狛犬と、拝殿前には明治14年生まれの狛犬が奉納されています。
宗像神社御由緒
創建 1140年前 56代清和天皇御代
社頭の由緒書きより
御祭神 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命
合殿 保食神 武甕槌神 日本武尊
境内社 正一位 稲荷大明神
旧社格 懸社 肥前国平戸藩中
縁起詩文 里田原開始並宗像神社奉祀行
世界文化遺産 旧官幣大社 宗像大社御分社
「旧官幣大社 宗像大社御分社」とあります。
あの世界文化遺産となった宗像大社から分霊をいただいてお祀りしているということのようです。
さてさて、こちらが参道入口ですが、この鳥居は一見すると肥前鳥居に見えますが、じつは鎮信鳥居(ちんしんとりい)と言う鳥居です。
肥前国平戸藩四代藩主の松浦鎮信公が、この形の鳥居を寄進したことから鎮信鳥居と呼ばれるようになったと言われているようです。
肥前鳥居と同じく、笠木と島木が一体となっているものの肥前鳥居と比べると小型でスマートに見えますが、笠木の両端が薙刀(ナギナタ)のように大きく反りかえっているのが大きな特徴だといいます。
昔はこの鎮信鳥居も肥前鳥居に含まれていたそうですが、現在は旧平戸藩内にある肥前鳥居は鎮信鳥居と呼ばれているようです。
鳥居には「宗像神社」の神額が掛かります。
神門。
入母屋造りの拝殿。
そして石段前の狛犬さん。
個人的には、塩田型の狛犬さんによく似ているように感じます。
塩田型を思わせる狛犬さんは、建立年などは分かりませんでしたが「石工 加賀江作平」の刻銘がありました。
拝殿向拝下の様子。
そして拝殿前にも小型の狛犬さんが…。
明治14年(1881)1月に建立されたものですが、石工さんは分かりませんでした。
本殿覆屋。
石祠群。
御神木。
今日、初めて鎮信鳥居に巡り合いましたが、あらためて肥前石工の技術や発想力の豊富さに感激しました。
松浦鎮信公が鎮信鳥居を寄進された後も、のちの平戸藩主や民もこの型の鳥居を寄進するようになったということですが、江戸時代後期になると明神鳥居が全国的に流行したことから造られることがなくなっていったそうです。
またそのうちに次の鎮信鳥居を見つけに行きたいと思います♪
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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