今日ご紹介するのは長崎県松浦市志佐町浦免に鎮座される淀姫神社です。
松浦鉄道松浦駅近く国道204号線沿いの町中に鎮座され、近くには大型ディスカウントストア「ハイマート松浦店」があります。

謎が多いと言われる淀姫様ですが、もっとも馴染みがあるところでは浦島伝説でおなじみの竜宮城の乙姫様といえばいいでしょうか。
神功皇后の妹に当たる豊姫(とよひめ)ともいわれたり、全く別人として祀られていることもありますが、三韓征伐で暴風雨を起こし百済や高句麗を次々に倒したことで知られるとても強力な力を持った姫神さまです。
ところが「肥前国風土記」にはその活躍が紹介されているものの、記紀神話(古事記や日本書紀)には淀姫の記載がないといいます。どうやらこうしたところが謎が多いと言われる所以のようです。
淀姫神社は肥前国(現在の佐賀と長崎)を中心に数多くあり、河上大明神(かわかみだいみょうじん)と呼ばれて信仰されているようです。
佐賀市大和町川上1番地に鎮座される「與止日女神社(よどひめじんじゃ)」は、その代表格と言ってもいいのではないでしょうか。

国道のすぐ脇にに建つ明神鳥居。
鎮座地 長崎県松浦市志佐町浦免632番地
御祭神 十二代景行 天皇淀姫命(よどひめのみこと) 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
御神徳 天文暦学 五穀豊穣 雨乞いの神
御由緒 人皇十二代景行天皇 甲申十四年前二年後四年の六年間、筑紫(九州)の日向(宮崎県)に仮宮をお建てになっていた。戊子十八年九州御巡行の時此の地を清浄の場所として撰ばれ仮宮をお建てになった。
十四代仲哀天皇のお后であられた神功皇后が、新羅へ出兵に際し、外征は国家の一大事として諸国に使令を出して船舶を集め武器鎧をお揃えになった。
また皇后は、妹の淀姫命を松浦に遣わし兵と船を集められた。松浦地方の族長である磯良(しら)を伴い此の地の海辺・膳崎(かしわざき)に着船遊ばされた。
焚き火をしておられるとその火が御厨から見えた。この火を見た御厨の住民は皇后の妹君がお出でになると聞いていたので、さてはと思い来てみると果たして淀姫命の一行であったので、住民は用意していた蘇鉄の団子を差し上げ奉ると、その温かい心に感激遊ばされ美味しく召し上がった。(又一説にはお供の者が差し上げ たと記されている)
これに因んで今でも秋のお宮日大祭(10月26日)には先ず団子を献じてお祭りを行う。(団子を献ずる子孫が御厨町木場に在住)
淀姫命は松浦より出陣なされし時、沙迦羅龍王(さからりゅうおう)より潮満玉(しおみつたま)と潮干玉(しおひるたま)を借り、375人船に乗り組み、皇后と共に新羅へ向かわれた。対馬を過ぎやがて彼の地が見えだした。
潮干玉を投げられると海は50里ほど干し上がったので、新羅軍は喜び勇んで海の中まで攻めてきた。そこで潮満玉をお投げになると潮がどんどん満ち、陸の上まで上がり船は王城の門まで達した。
新羅王は和睦を乞い貢ぎ物を毎年送ることを誓い長い間届けた。淀姫命は御帰朝後、志佐の美しさと住民の暖かさをお忘れになることなく、病人の治療や干魃には雨乞いをなされた。
淀姫神社公式サイト-淀姫神社WEB-より
「三つ星に一文字」の神紋が付いた社号漂(左)と、鳥居に掛けられた「淀姫神社」の神額。
嵯峨源氏の流れを組む松浦党の松浦氏が出た渡辺氏の家紋がこの「三つ星に一文字」ですので、淀姫神社は松浦党と所縁があるのでしょうか。

神門と手水舎。

社殿。
そして社殿を護る狛犬さん。

大正6年(1917年)11月生まれの狛犬さん。石工は松永茂さんでした。
大正生まれにしてはとっても綺麗ですね。

「庚申様」。

「淀姫神社」の神額。
向拝下の獅子と象の彫り物。

よく見ると拝殿屋根の上にも狛犬さんがいますw

「淀姫大明神」。

石祠。
「淀舟稲荷」(右)。

本殿。

「淡島大明神」への参道。


境内末社。左から「時之御前・時若丸」「淡島大明神」「伏見稲荷」。
御神木。
北部九州の広範囲に淀姫伝説があり、また淀姫命を祀る神社も数多くあるのですが、これは北部九州一帯が海や川の水運や交易を支配していた士族、いわゆる海人族であったことに起因しているということです。
なるほど、そういうことなら淀姫神社の社号表に、松浦党に所縁のある渡辺氏の「三つ星に一文字」の神紋が付いていたということも頷けますね。
最近よく思うのですが、神社や狛犬のことを調べていると日本の歴史の勉強になるのもなかなかいいもんですw
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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