肥前國三之宮 天山神社 佐賀県唐津市厳木町大字広瀬

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唐津市の神社

こちらの天山神社は、JR唐津線厳木駅の東南東およそ2kmほどの距離、佐賀県唐津市厳木町大字広瀬地区の集落の南の外れの多久市との市境の山裾に鎮座されます。

国道203号線厳木多久有料道路の牧瀬IC近く、「道の駅厳木」から県道37号厳木富士線を北へ1.8kmほどのところにある福聚寺付近の分岐を右、およそ400mほどの進むと道路右手に一の鳥居が立っており、そこから南に300mほどの厳木川沿いに位置します。

集落と神社の間は広大な田畑がありますが、天山神社の横にはプールやスポーツ広場が整備してあり、やはりここが地域の方の憩いの場の中心となっているようです。

道路際の参道入口に立つ一の鳥居。

参道の途中に立つ二の鳥居。ともに「天山神社」の神額が掛かります。

神社遠景。

そして三の肥前鳥居。

右の柱には獅子ヶ岳城主「願主 鶴田上総介」の刻銘が入り、左の柱には上部に天正16年(1588年)建立の刻銘、下部には鳥居の補修がなされた大正8年の10月の刻銘が入ります。

鎮座地 佐賀県東松浦郡(現:唐津市)厳木町大字広瀬四〇番地

創 建 大宝元年(西暦七〇一年)

御祭神 天御中主命・倉稲魂命・端津島姫命・市杵島姫命・田心姫命

境内社 八幡神社・八坂神社・黒尾神社・宮地嶽神社・天満宮

沿 革 抑々41代持統天皇(645~703)の御代異国人鎮西対馬に来舶して、将に異
   国の風俗を広めんとす。因って茲に参議藤原安弘勅命を蒙りて之を退治す。
   時に天皇其の功を賞して晴気の里を賜ふ。民人安弘の徳を慕ひて集り来りて
   天山の下に住む。是に於いて天御中主命を天山の頂上に祀りて庶民擁護と為
   し、五穀豊穣を祈れり。年ありて然る後、文武天皇の大宝元(701)辛丑歳11
   月15日、白雲天山を覆ひ、散じて本山・広瀬・岩蔵の上に至り留る。是に
   由りて安弘、又天御中主命を此の三地に勧請して以て天山大明神と言へり。
   其の頂に在るを上の宮と号し、其の下の在るを下の宮と号す」原文の通り。
    即ち当天山神社は現在上・中・下宮よりなり、天山頂上に近い池の辺に享
   保5年(1720)に奉建された石祠の上宮があり、小城町川内分校附近に巨石を
   神体とする中宮があり、更に小城町晴気、岩蔵と厳木町広瀬の三ヶ所に下宮
   がある。
    室町末期獅子ヶ城主鶴田越前守前は、当社を祈願所として尊敬し、社殿の
   修復造営は勿論、社領も寄進していたが藩政時代に入り元和2年(1616)寺沢
   氏の検地によりすべて没収された。

境内入口の案内板より

境内遠景。

御堂。

境内前の四の鳥居。

鳥居には「天山宮」の神額が掛かる。

手水舎。

瓦葺き入母屋造りの拝殿。

そして拝殿前の狛犬さん。

恐ろしい形相をしていますが、阿形の苔生した頭がなぜかリーゼントをしているように見えて笑ってしまいましたw

昭和3年(1928年)4月生まれの狛犬さんは値賀石工によって作成されたものでした。

向拝下の様子。

拝殿の中の様子。

銅板葺き流造の本殿。

部隊横から拝殿まで続く回廊。

境内社。

左から黒尾神社、八坂神社、八幡神社。

境内社の天満宮。

境内北側の石祠群。

北側の鳥居。

回廊の屋根を支える梁の太さが印象的です。

境内社の宮地嶽神社。

宮地嶽神社の拝殿。

宮地嶽神社の本殿。

御神木。

天山神社の上宮は天山の頂上付近に鎮座されます。広瀬側からも天山への登山道がありますが、上宮は小城市小城町晴気側からの登山道にあるので、参拝される場合は小城市の方から登られる方がいいかと思います。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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