唐津方面に向かって国道203号線を走らせ、町切の交差点から左に曲がり厳木多久有料道路の高架下を通って右折すると、右前方に御神木らしき巨木が見えてくる。
邪魔にならないところに車を停めさせていただき、道路の端の方にまだ雪が残る細い路地を歩いて西側の山の方に向かっていくと白山神社が姿を現しました。

社頭。そして一の鳥居。

神橋を渡り6~7段の参道階段を上ると、狛犬が乗る灯篭が迎えてくれました。
吽形は玉の上で逆立ちをしており、一方の阿形は玉乗りをしておりましたw
とっても愛嬌のある表情と可愛い体つきの狛犬さんです。

二の鳥居。

「白山神社」の神額。

参道階段が続く。
そして、二の鳥居の手前で迎えてくれたのは比較的新しめの狛犬さん。
大正4年(1915年)11月生まれの狛犬さんでした。
手水舎と神馬。

二の鳥居。

二の鳥居には「白山大権現」の神額が掛かります。

さらに続く参道階段。

拝殿。
拝殿の中の様子と天井絵。

こちらが本殿。
鎮座地 佐賀県唐津市厳木町岩屋68
御祭神 伊弉冉尊・菊理姫・泉道守者
由緒
白山神社の本殿には、「白山宮之記事」という題の由緒書が納められています。「白山宮之記事」には下記の内容が書かれています。
白山宮は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、左に菊理姫(くくりひめ)、右に泉道守者(よもつみちもりひと)の三神を祭神としています。加州石川郡(現在の石川県)にある白山比咩社が本山です。最初の妙理権現(白山比咩神社の別称)は、元正天皇霊亀二年(716年)に祭られ、国社となりました。その後、肥前松浦郡岩屋村に勧請され、その北西の山頂に社を置きました。その時期は不詳ですが、毎年十一月十五日を祭日としていました。しかし山頂の地は険しく、修理や年中行事を行う際に不便である為、社を山麓に置くことにしました。宝永戊子(宝永五年:1708年)の春、土地を測って建物を造る計画を立て、社を移転しました。鳥居・狛犬・石灯篭はこのとき造られました。それぞれには、正徳癸巳(正徳三年:1713年)の春に銘文が刻まれました。享保庚戌(享保十五年:1730年)の春、廟殿を再建し、明和壬辰(明和九年:1772年)の冬には、外回り及び拝殿の修復をしました。文政年中(1818~1829年)に石垣・階段・石灯篭をまた新たに造りました。天保乙未(天保六年:1835年)の秋、廟殿に赤や青の色を塗って荘厳にし、また社前の石垣を築きました。
徳が盛んなものは、その志が厚く、その志厚きものは、人の道に明らかです。人の道に明らかな者は、祭事を敬うでしょう。祭りを敬うのであれば、境内の子孫も敬わないことはないでしょう。・・・長い年月にわたり、神の恵みを喜び、人々が賑わうことを願います。・・・年中行事を後世にも怠らないように。天保六年冬十一月
境内の由緒書きより

「正一位稲荷大明神」。

末社。
御神木。
左の画像が参道中段にあるアスナロ(カマクラヒバ)で、さが名木100選のうちの一つで樹齢は260年を超す巨木だということです。
この岩屋地区は多久市と一緒で昔は炭鉱の町として栄えた町です。今はどこも同じなのかもしれませんが、こちらも高齢化が進んでいるようで近くにケアハウスが建っていました。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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