こちらの青幡神社はJR筑肥線佐里駅の東方およそ500mの距離、佐賀県唐津市相知町佐里地区に鎮座されます。
国道203号線の「山崎橋交差点」を西へ、松浦川沿いの県道38号相知山内線を道なりに走り、「佐里下バス停」付近から南に入り集落の中を1.5kmほど行った、集落の西側の小丘の上に位置しています。
鳥居をくぐると境内に伸びる石段参道があるのですが、石段の奥行きが少ないので足を斜めにして登らざるを得ず、中央に設置されている手すりがないと恐ろしくて登れそうもありません。
一気に上りきることができずに一度休んだのですが、振り向いて下を見ると高所恐怖症の私は危うく目を回してしまいそうでした。
明治生まれの塩田型狛犬が守護する境内には、唐破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されており、境内には「山王宮」のほか、境内社の「住吉神社」と「天満神社」が祀られています。
岸嶽城が築城された平安時代の後期に祈願所として創建され、祭神は天照皇大神、國常立尊、事解男尊、伊弉諾尊、素戔男尊、速玉男尊の六柱です。
社頭。道路よりも石段5段分高くなったところに鳥居や石灯篭などが建立されています。
鳥居の右側に建立されている「青幡神社」の社号標。
石段参道前に立つ一の台輪鳥居。
「青旗神社」の神額。
一気には登れそうにない石段参道が待ち受けています。
石段を上った先の境内入口に居た塩田型の狛犬さん。
左の台座には「藤津郡塩田久間村上分 石工 大久保幸平」、右の台座に「明治十三年庚辰八月吉日」の刻銘が入ります。
境内に立つ二の明神鳥居。
鳥居には「青波多宮」の神額が掛かります。
左の柱に「昭和十二年十月建之」、右の柱に「皇紀二千六百年記念」の刻銘が入る。
唐破風付き入母屋造りの拝殿。
唐破風向拝下の様子。軒先には鶴、頭貫上には龍の立派な彫刻が施されています。
拝殿の中の様子。「青波多宮」の社号額が掛かっています。
流造の本殿。
境内の案内板。
青幡神社由緒記
境内案内板より引用
御祭神 天照皇大神 國常立尊 事解男尊 伊弉諾尊 素戔男尊 速玉男尊
平安時代後期、波多家興起より、岸嶽築城と共に、その祈願所として創建された神社である。居城より青陽の方に当り、又地名が「青幡づる」といっていたので「青幡神社」と呼ばれるようになったのである。創建当時は「上野山麓」にあったのであるが、室町時代の延徳元年己酉に宮沢という山へ遷座(現在地)となったのである。
沿革
波多家興起(平安時代後期)より、波多参河守(三河守)鎮公迄(安土桃山時代後期)凡そ五百有余年、社領二百石であったのである。
所が豊臣公の三韓へ出兵のおり、不利であったので波多公は常州(常陸国)に流されたのである。それ以後も地域住民の信仰は厚く、幾多の建造物の奉献や社殿の改築修理がなされているのである。
所で江戸時代の寛永年間に火災にあい、文書や神宝等悉く消失してしまったのである。(以下省略)
社殿の左側に祀られる境内社。
鳥居に掛かる神額には「山王宮」とあります。
風化が激しく、右の柱の「四月吉日」だけが読み取れました。
山王宮の石祠と奉納されている石灯篭。
左の柱に「十一月吉日」、右の柱に「天明四年」の刻銘が入ります。
猿田彦大神。
神庫。
境内南側の神馬と遷座五百年大祭記念碑。
御神木の苗木。
境内東側に祀られている境内社。
境内神社
“佐賀県神社誌要”より引用
住吉神社 祭神 表筒男命 中筒男命 底筒男命
天満神社 祭神 菅原道真
神額は読み取ることができません。
境内社の石祠2基。住吉神社と天満神社でしょうか。
天照皇大神の石塔。
境内遠景。
西側に設けられたスロープの参道。私も参拝後はこちらから降りてきましたw
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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