牛嶋天満宮 佐賀県佐賀市東佐賀町

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佐賀市の神社

こちらの牛嶋天満宮は、JR長崎本線佐賀駅の南東およそ1.7kmの距離、佐賀県佐賀市東佐賀町の町なかに鎮座されます。

県道30号佐賀川副線の大財橋交差点から東へ入り、クリークに沿って500mほど進んだ突き当りを右折して南に150mほどのところに位置の鳥居が立っており、そこから東へ150mほどの住宅街の中に位置します。

社頭に立ってまず目を奪われるのは、境内入口の神橋前に建立されている二の鳥居です。慶長年間に建立された肥前鳥居の、バランスの取れたその堂々たる佇まいに圧倒されてしまいます。

神橋を渡った先にある神門前には、寛政8年生まれの三養基型と思われる個性的な狛犬が置かれ、境内に建立された銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿を、昭和5年生まれの筑後型狛犬が守護しております。

創建は今から870年前、仁平元年(1151年)に菅原道真公の子孫である牛島教正うしじまのりまさ公によって創建されたといわれており、慶長年間の佐賀城下建設の際の鬼門鎮護のために鍋島勝茂公により、旧蓮池町牛島から遷座されたとされています。

「牛嶋神社の楠」と呼ばれる推定樹齢600年クスノキなどの古い樹木や、肥前鳥居に肥前狛犬といった江戸時代から明治はじめの石造物が多く存在しており、これらと佐賀市のクリーク(農業用水路)が一体となった姿が重要な歴史景観であるとして、佐賀市の都市景観重要建築物に指定されています。

参道入口に立つ一の台輪鳥居。

落下防止のためにアングルで補強された鳥居には「天満宮」の神額が掛かります。

参道。

境内入口。神橋前に立つ二の肥前鳥居。

肥前鳥居にも「天満宮」の神額が掛かります。

神池と神橋。

神橋の手前左側になにやら祀ってあります。

金毘羅大権現。有明海(南)の方向に向けて建立されています。

庚申塔。

神門。

神門の下の様子。鍋島家の家紋「杏葉紋」の彫刻が入ります。

神門前の狛犬さん。「寛政八年丙辰六月廿五日」の刻銘が入る。

神池の上を這うように生えている御神木。

御神木のクスノキは佐賀市で2番目に古いと言われていて、「牛嶋神社の楠」と呼ばれ昭和53年に佐賀市の天然記念物に指定されています。

楠の中は空洞になっており、願い事をしてこの中をくぐり抜けると願い事が叶うと言われているそうです。

常夜灯と朽ちた老木のオブジェ。

延宝8年(1680年)建立の銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿。木像建築物では佐賀市で2番目に古い建物だと言われています。

台座には「昭和五年四月吉祥」「市内紺屋町 石工 小柳綱次郎」の刻銘が入ります。

唐破風向拝下の様子。

拝殿の中の様子。幣殿入り繰りの貫の部分に狛の彫刻が施されています。

銅板葺き流造の本殿。

お坊さんのような彫刻が施されています。

正一位稲荷大明神。

拝殿。

拝殿前に一体だけ狛犬さんが居ます。通常の蹲踞型とは違い、ピーンと背筋が伸びた狛犬さんです。

イギリス式積みレンガ造りの「白太夫神社」と手水舎。

白太夫神社の祭神は菅原道真公の守役を務めた渡会春彦わたらいはるひこで、若いころから白髪だったため周囲の人から“白太夫”と呼ばれていたこそうです。

太宰府天満宮から分けられた飛梅。

恵比寿像。

もともとは商家や街角に祀られていたもので、祀る方がいなくなった恵比須さまがこちらに遷座されたものです。五体揃って“満点恵比寿”と呼ばれているそうです。

牛嶋天満宮由緒
牛嶋天満宮は、道真公の末孫牛嶋教正公が、山浦郷古野城巨勢庄牛嶋村領主であった時の仁平元年(1151年)創建された社で、永年五年(1508年)教正公の九代の子孫下野守家泰男兵部小輔が社を再興し、”再興永正五冬十月吉日当庄領主牛嶋下野守菅原家泰、同佐衛門大夫菅原実家”と廟の棟にかかれてあり国司造営社となった。この社は”肥前古跡縁起”に”蓮池町牛の島に宮在りしを鍋島勝茂公佐嘉城を築かれるに当り、鬼門に移し祭るべし”とあり、城の護神として祭ったとされている。神橋前の肥前鳥居の銘には”藤原朝臣勝茂**”とかすかに残っているところから、慶長頃造営されたと思われる。

「法華一萬部」の石碑ほか。神仏習合の名残りですね。

石祠と石仏が纏められています。

社務所。

御神木。

御神木。

御神木。

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