こちらの高木八幡宮はJR長崎本線佐賀駅の北方およそ2.2kmの距離、佐賀県佐賀市高木瀬東二丁目に鎮座されます。
国道263号線の「運輸支局入口」交差点を東に入った市道の、国道と並行して走る佐賀県道31号佐賀川久保鳥栖線へと繋がる「高木瀬東」交差点との丁度中ほど南側に位置します。
南側にある参道入口には寛文五年奉納の台輪鳥居が建立され、その先にある神門をくぐると長い石畳の参道が社殿まで続き、重厚感のある拝殿前には銘菓「ひよこ」を彷彿とさせるシルエットの肥前狛犬と塩田型の狛犬が奉納されています。
境内には千鳥破風付き入母屋造りの拝殿と本殿が建立され、御祭神は仁徳天皇、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇の四柱です。また境内社として天満神社、須賀神社、太郎坊神社、高木恵比須大神が祭祀されています。
さて、こちらの社頭に立つ二の鳥居は、寛文五年(1665)に佐賀藩二代藩主鍋島光茂公が寄進されたものだそうです。
ただ、よく見ると苔の付き具合に差があることがわかります。おそらく笠木と島木の左側と中央の部分、それに貫の部分は修復されているのではないかと思われます。
「八幡宮」の神額が掛かる。
神門。
鎮座地 佐賀県佐賀市高木瀬東2丁目12−8
御由緒 社記によれば、平安時代・近衛天皇(久安年中二四五~二五〇)高木越前守藤原貞永という者、高木の庄に下向して高木城を構えていたが、霊験に任せて旭日の形を描いた旗を押したて居城の守護神として八幡大神を奉祀したとあり、これが八幡神社のおこりである。
この旭日の形を描いた旗じるしが、高木家の家紋の十二日脚である。なおこの十二日脚の家紋は、後に龍造寺家が踏襲し鍋島家の家中でこの紋を用いる者もあった。
辻の浄蔭寺の墓地にはこの紋を用いた鍋島氏の幾多の墓がある。御祭神 仁徳天皇 応神天皇 神功皇后 仲哀天皇
境内社 天満神社 須賀神社 太郎坊神社 高木恵比須大神
境内案内板より
境内遠景。
手水舎。
千鳥破風付きの瓦葺き入母屋造りの拝殿。
そして狛犬さんたち。
まず出迎えてくれたのは、けっこう大きめのサイズの肥前狛犬ちゃんでした。
風化のためか目鼻立ちはあまりハッキリしませんが、丸っこい体に浅く彫られた脚がしっかりと確認できます。
台座には「丸に三つ柏」の紋と「明治廿九年四月」の刻銘が入ります。
拝殿向拝下。
瓦葺き入母屋造りの本殿。
境内社。須賀神社(左)と「天満神社」(右)。
末社群。
「稲荷社」。
「天照皇大神」「太神宮」ほか。
「太郎坊神社」。
太郎坊神社の由緒書き。
ご神木。
こちらの高木八幡宮は立派な神社でしたし、肥前狛犬ちゃんとも出会えてとてもラッキーでした。
こんな出会いがあるから下調べなし、行き当たりばったりの突撃参拝が面白いんですよねw
毎年11月中旬の日曜日には、五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝する「高木八幡ねじり浮立」が奉納されるそうです。
天衝舞・大太鼓・鉦・モリャーシ(締太鼓)・笛・お謡いなどから構成されており、鉦打ち・モリャーシがそれぞれ2列になって笛に合わせて神前で舞いが奉納され、天衝舞は大太鼓や笛に合わせて勇壮に舞うとのことですが、機会があったら一度拝見してみたいものです。
さて、次はどんな出会いが待っているのか楽しみです♪
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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