こちらの金立神社下宮は長崎自動車道佐賀大和ICの東方およそ2kmの距離、佐賀県佐賀市金立町大字金立地区に鎮座されます。
県道48号佐賀外環状線と県道31号佐賀川久保鳥栖線が交差する、「千布北」交差点の北方1kmの「金立特別支援学校入口」の信号から北へ伸びる側道を300mほど直進した街なかに位置しています。
参道入口の一の鳥居、境内入口の二の肥前鳥居をくぐった先には広い境内が広がり、その正面に塩田型と思われる狛犬が守護する入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立され、境内の右手の方には幼稚園があります。
拝殿を守護する狛犬は風化が進んでおり、阿形の狛犬の方は顎と尾が欠落しておりましたが、背中に仔狛が張り付いているのは微笑ましいものです。
雨乞いに霊験のある神として、佐賀藩主をはじめ広く崇敬されていた由緒の古い神社で、御祭神は保食神、罔象売女命、徐福の三柱。秦の始皇帝の命令で、不老不死の薬を求めて日本へとやって来た徐福が祀られているというのはなんとも不思議なものです。
一の鳥居。肥前鳥居の特徴を持つ肥前鳥居の後期型です。
案内板に下宮とあるように、金立神社は標高501.8mの金立山の山頂から山麓にかけて、「奥の院」「上宮」「中宮」「下宮」が鎮座しています。
秦の始皇帝の命令で日本に不老不死の薬を探しに来た徐福が、金立山で出会った仙人にから不老不死の霊薬(フロフキ)を授かったという伝説が残っているそうです。
この神社の祭神は、金立山頂にある本社上宮と同じで保食神、罔象売女命、秦の徐福の三神である。昔、勅使並びに一般参詣者の便宜をはかって建てられた社で境内には、徐福が不老不死の薬草を授かったという甲羅弁才天をまつる堂がある。
神社所有の絹本淡彩金立神社縁起図(佐賀県立博物館展示)には、金立神社上宮の景観、下宮、徐福が浮盃江(諸富町)に上陸の様子が彩色鮮やかに描かれ金立神社の祭神にまつわる絵画としてその価値は高く評価されている。
案内板によると、御祭神は保食神(うけもちのかみ)、罔象売女命(みずほめのみこと)、徐福の三柱とされます。
境内入口に立つ鳥居は、肥前鳥居の特徴をしっかり備えた見事な肥前鳥居です。
二の鳥居に掛かる神額は「金立大権現」です。
寛永21年(1644年)9月12日建立、金立大権現の刻銘があります。
境内の様子。右手に見えるのは「金立幼稚園・保育園」です。
社殿。
拝殿幕には抱き杏葉紋が入っています。豊後の大友氏が使用していたそうですが、鍋島直茂が大友宗鱗と戦って勝った時に「大友家に勝った」という象徴でこの家紋を使用していたそうです。
そして狛犬さんです。
蹲踞型の狛犬さんですが、雨で濡れているので非常に表情などが分かりにくいですね。
特徴的なのは吽形の尾の部分が2つに分かれているような形でしょうか。そして、阿形の狛犬は顎の部分が欠けていて尾の部分もありません。
阿形の狛犬をよく見ると、背中に仔狛がしがみついているのが分かります。このあたりは造った石工さんのなせる業といったところでしょうかw
明治11年(1878年)5月生まれの狛犬さんでした。
流造の本殿。
西側の鳥居。
「甲羅弁財天」。
甲羅弁財天の案内板。
手水舎。
社殿と、そこを護る狛犬さんは岩狛さんです。
生まれた年は分かりませんでした。
拝殿の中の様子。
御神木。
金立神社。この神社がある道路はこれまでにも何度も通った道路なんですが、こんな由緒のある神社があるなんて全く知りませんでした。
おそらくこの神社巡りをすることがなかったら、一生出会うことがなかったはずです。出会いというものは、本当にひょんなことから始まるものでございますw
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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