今日は野暮用があり長崎県平戸市の入り口にあたる田平町にやって来ました。
用事を手早く終わらせてこの辺りの神社を参拝させてもらうことにしたのですが、ひょっとすると神社巡りをしたいために用事を引き受けたのかもしれませんw
最初にヒットしたのがこちらの宗像神社でした。

宗像神社御由緒
創建 1140年前 56代清和天皇御代
御祭神 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命
合殿 保食神 武甕槌神 日本武尊
境内社 正一位 稲荷大明神
旧社格 懸社 肥前国平戸藩中
縁起詩文 里田原開始並宗像神社奉祀行
世界文化遺産 旧官幣大社 宗像大社御分社
社頭の由緒書きより
「旧官幣大社 宗像大社御分社」とあります。
あの世界文化遺産となった宗像大社から分霊をいただいてお祀りしているということなのですね。

さてさて、こちらが参道入口ですが、この鳥居は一見すると肥前鳥居に見えますが、じつは鎮信鳥居(ちんしんとりい)と言う鳥居なんだそうです。
肥前国平戸藩四代藩主の松浦鎮信公が、この形の鳥居を寄進したことから鎮信鳥居と呼ばれるようになったと言われているようです。
肥前鳥居と同じく、笠木と島木が一体となっているものの肥前鳥居と比べると小型でスマートに見えます。大きな特徴としては、笠木の両端が薙刀(ナギナタ)のように大きく反りかえっているところだといいます。
昔はこの鎮信鳥居も肥前鳥居に含まれていたそうですが、現在は旧平戸藩内にある肥前鳥居は鎮信鳥居と呼ばれているようです。

「宗像神社」の神額が掛かる。

神門。

社頭。
そして参道階段前の狛犬さん。

建立は分かりませんでしたが、石工は「加賀江作平」とありました。

拝殿。
そして拝殿前にも小型の狛犬さんが…。
明治14年(1881)1月に建立されたものですが、石工さんは分かりませんでした。

本殿。
末社。
御神木。
今日、初めて鎮信鳥居に巡り合いましたが、あらためて佐賀県や長崎県の石工さんたちの技術や発想力の豊富さに感激しました。
松浦鎮信公が鎮信鳥居を寄進された後も、のちの平戸藩主や民もこの型の鳥居を寄進するようになったということですが、江戸時代後期になると明神鳥居が全国的に流行したことから造られることがなくなっていったそうです。
またそのうちに次の鎮信鳥居を見つけに行きたいと思います♪
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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