こちらの内砥川八幡神社はJR長崎本線牛津駅の南西およそ3.4kmの距離、佐賀県小城市牛津町上砥川内砥川地区に鎮座されます。
国道207号線の「砥川小学校前」の信号から西に入り、1.4kmほど行った多久市との市境に立つ大平山江北町の御岳山に挟まれた集落の、三つある溜池のうちの「新堤」と呼ばれる溜池のすぐ西側に位置しています。
揚水設備施設付近の参道入口には「参道入口から社殿前にかけて三基の肥前鳥居が奉献されている」という案内板が掲げてあり、眼前の一の肥前鳥居をくぐり新堤を左に見ながら参道を行くと、やがて正面に石垣が組まれ石段前に二の肥前鳥居が奉納された鎮守の森が現れます。
石段参道を上がると小ぶりではあるものの存在感のある三基目の肥前鳥居が奉納され、境内奥に建立された入母屋造りの拝殿と本殿を、安政二年生まれの個性的で迫力のある砥川型の岩乗り狛犬が守護しています。
私が佐賀県の神社めぐりを始めるきっかけとなったのがこの神社で、この地が肥前石工集団の原点と言われる砥川石工の里だけに、鳥居といい狛犬といいじつに素晴らしいものばかりです。
また社殿横の境内には、肥前狛犬ファンならきっと飛び上がるのではと思うほどの肥前狛犬が安置されています。御祭神は足仲彦尊、誉田別尊、気長足姫尊の三柱です。
参道入口。
すぐ左側にある「源五郎溜池」。私たちが近づくと、たくさんの鴨たちがガーガーと泣きながら移動していました。
特筆すべきは、この内砥川八幡神社の一の鳥居から二の鳥居、そして三の鳥居まですべてが肥前鳥居であることです。
そして、内砥川八幡神社に建立されている3基の肥前鳥居は、すべて地元の石工集団の砥川石工によって造られたものです。
寛文2年(1662年)建立の一の肥前鳥居。神額はありません。
一の鳥居横にある石祠。
社務所と参道の様子。
二の肥前鳥居。こちらは正保4年(1647)に建立されたもので、小城市歴史資料館の資料によると「當代官 福地勘兵衛尉藤原重之」「石匠 關屋孫右衛門尉」「同石工 平河甚左衛門尉」「同施巧 武富源右衛門尉」の刻銘があるとされてます。
神橋と「八幡宮」の神額。
二の鳥居をくぐり、参道の階段を上がった先には何とも言えない雰囲気を醸し出している三の肥前鳥居が立っていました。
足元に近づくにつれて太くなっている柱に、初期の肥前鳥居の特徴をよく現れています。
これを見ると言い方は悪いのかもしれませんが、まだ幼かったころに中高生のお兄さんたちが履いていた「ラッパズボン」のように見えますw
こちらの三の肥前鳥居は銘文が剥落していて、製作された時期などについては不明ということでした。
私は初めて見ます。丸い神額に「八幡宮」とあります。
入母屋造りの拝殿。
村社 八幡神社 小城郡砥川村大字上砥川
“佐賀県神社誌要”より抜粋
祭神 足仲彦尊 誉田別尊 気長足姫尊
當社は、三所八幡の一にして上宮と称す、九州探題千葉胤貞、鶴岡八幡の分霊を奉して當社を建立せり。明治六年村社に列せらる。
拝殿前の狛犬さんたちをご覧ください!
私は大感動しましたw
安政2年生まれの岩狛さんですが、この躍動感たるやこれまっで私が見てきた狛犬さんの中では最高に興奮させてくれた狛犬です。
阿形は岩の上から見下ろしながら威嚇しており、吽形の方は今にも飛び掛からんばかりの形相をしています。
こうしたところが、砥川石工さんの腕前の良さなのかもしれませんね。
拝殿の様子。拝殿幕には五七桐紋が入ります。
本殿。
手水舎。
御堂。
境内の様子。
石祠群。
と、思っていたら、なんとそこにはたくさんの肥前狛犬さんたちが鎮座していらっしゃるではないですか!!
左側からと右側からと撮影しました。
ただ、果たして阿吽が揃っているのかどうかも定かではありません。神社合祀の結果ここに集められた狛犬さんたちなのかもしれませんね。
しかし、いつ見ても肥前狛犬さんはユーモラスですw
神額たち。
御神木。
稲荷社。
石祠と石碑群。
神馬。
今回は砥川型の狛犬といい、肥前狛犬といい、本当に大満足な参拝ができました。
これからもこうした出会いを期待しながら神社巡りを続けていきたいと思います。
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