値賀神社 佐賀県東松浦郡玄海町普恩寺門前

[AD]本ページにはプロモーションが含まれています

玄海町の神社

こちらの値賀神社は、県道292号加倉仮屋港線にある玄海町役場の北北西およそ5kmの距離、佐賀県東松浦郡玄海町普恩寺門前地区に鎮座されます。

玄海町役場から玄海原子力発電所へ向かう国道204号線の「中通り」交差点の西方500m、普恩寺門前の集落の北の外れにある小山の上に位置しています。

小山の麓には石垣が組まれ、玉垣が巡らされた参道入口には一の明神鳥居が建立され、石段参道には狛犬が乗る石灯篭を初め二基の鳥居と一対の唐津型狛犬が奉納されており、小山の頂上にある境内には明和六年生まれの個性的な狛犬が守護する入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立され、本殿には陶器製の小型の狛犬が奉納されています。

神功皇后が新羅遠征されたおりにこの地で戦勝を祈願したことに由来し、御祭神は天忍穂耳尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔嗚尊、神社合祀で追加された埴安姫命、菅原道真、大山祇命の七柱です。また、西の参道入口にも鳥居が建立され唐津型の狛犬が奉納されています。

社頭。

一の明神鳥居。

鳥居に掛かるのは「値賀神社」の神額。

石段参道途中にある常夜灯。

飛び狛さんが載っております。

そして二の明神鳥居。

二の鳥居の「値賀神社」の神額。

そして一息ついたころに三の鳥居があります。

三の鳥居には「大権現」の神額。

そして三の鳥居をくぐった先に居た唐津型の狛犬さんです。

作成した石工さんは、値賀川内の「古館円吉」「古館円吾」「古館光造」のお三方でした。

さあ、もう一息です。

石段参道を登り切った境内入口の左右にある手水舎。

社殿。

村社 値賀神社 東松浦郡値賀村大字普恩寺
祭神 天忍穂耳尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊 素戔嗚尊 埴安姫命 菅原道真 大山祇命
 神功皇后三韓御親征の際、海波穏かならさりしかは、當地池崎夫婦石の浦より御上陸あり、鹽井川にて嗽き森の木に御休息あり、今の社地なる小丘に登り給ひ西方を望み、此地新羅の地に近しと宣ひ天地神祇戦勝の御祈願あらせられ、ちかの里(値賀の里)と称し給へりと傳ふ、かゝる由緒ある地なれは、仁徳天皇の御宇社殿を建築し奉斎せりと、其後幾多の星霜を経暦應元年七月領主源孝社殿を修築し値賀六郷の鎮守とせり、然に永禄年間火災にかゝり、社殿神寶悉く焼失す、其後慶長二年九月値賀伊勢守源近社殿を再々建せり、明治六年村社に列せられ、仝三十六年正殿を改築す、無各社合祀により埴安姫命外二柱の祭神を追加せり。

“佐賀県神社誌要”より引用

鎮座地 佐賀県東松浦郡玄海町普恩寺375
御祭神 天忍穂耳尊 伊邪那岐命 須佐之男命
由 来 神社の由来は社伝によると、神功皇后が新羅遠征されたおりに、現在の普恩寺字新田の塩井川でみそぎをされたのに起因するとあります。

“玄海町のホームページ”より引用

銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿。

そして毎度おなじみ、拝殿前の狛犬さんです。

ムムム…ちょっと待て、この狛犬さんの作風は初めてだぞ!

垂れさがった耳の形も初めてだし、ポッチャリタイプの体型も珍しいし、なによりくるくるっと巻いた尾の形はこれまで見たことがありませんw

ひょっとして、これも値賀川内の石工さんの造った狛犬の作風なのかな。

石工さんのお名前は分かりませんでしたが、足元の「明和六天八月吉日」の刻銘が確認できます。

拝殿の中の様子。

立派な鏡があります。

拝殿の中に掛かる奉納絵馬。

銅板葺き流造の本殿。

おやおや…。

あらら、なんと本殿脇にも陶器製の狛犬さんがいらっしゃいましたw

神庫?

西側参道入口に立つ明神鳥居。

鳥居に掛かる「値賀神社」の神額。

拝殿前の狛犬さんとは明らかに作風が違うよく見るタイプの狛犬さんだったのですが、最初はどちらも阿形に見えたのですがよく見たら牙を剝いている吽形でしたw

神牛。

手水鉢。

鷹でしょうか?

境内の様子。

こちらの値賀神社には3対の狛犬さんがいらっしゃいましたが、初めて見るタイプの狛犬さんにちょっと驚きましたw

明和6年(1769年)建立だったので、ひょっとしたら“はじめ狛犬”と呼ばれる狛犬さんなのかもしれませんね。

ただ、こういう新しい出会いはとっても刺激になりますよねw

さて、次はどんな出会いが待っているのでしょうか!

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

ランキングに挑戦しています。
⇩ポチッとクリックいただければとても励みになります!
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ



コメント

タイトルとURLをコピーしました