こちらの三島神社は玄海原子力発電所の南方およそ6km、玄海町役場の西方に2.5kmほどの佐賀県玄海町大字仮屋穂盛地区の南の外れに鎮座されます。
県道292号加倉仮屋港線と交わる国道204号線の「金の手」交差点から、有浦川を渡り1kmほど行った左側に美しい海岸線が続く、仮屋湾に浮かぶ「三島」という小さな島に位置します。
島に架かる三島橋の手前に一の鳥居が建立されていますが、参道入口は島の真ん中を通る道路を右回りに回った真裏の北西の海に面した場所にあります。
参道入口に建立された二の鳥居から深い緑に囲まれた鎮守の森を上がっていくと、さらに2基の鳥居と3対の狛犬が奉納されており、手入れが行き届いた綺麗な境内には存在感のある立派な向拝付きの銅板葺き流造の拝殿と同じく流造の本殿が建立されています。
室町時代の永享12年(1440年)に、ここより4kmほど北に鎮座する値賀神社の分霊を勧請して創建されました。祭神は天忍穂耳尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊、須佐之男尊、菅原道真の五柱です。
三島に架かる神橋前に建立された一の明神鳥居。
鳥居には「三島神社」の神額が掛かる。
神橋の下は仮屋湾です。
一の鳥居と参道円形。境内入口へ行くには右側の道路を時計回りに島の反対側に回ります。
島の北西側の海に面した参道入口の二の明神鳥居。
二の鳥居には「三嶋神社」の神額が掛かります。
二の鳥居をくぐった先には二対の石灯篭が奉納されています。
飛び狛灯篭。
石段参道前に立つ三の鳥居。
三の鳥居には「三嶌大神」の神額が掛かります。
石段参道の上にも鳥居が見えます。
途中に建立されている四の鳥居。
四の鳥居にも「三嶌大神」の神額が掛かります。
右の柱に「嘉永七年寅九月吉日」の刻銘が入ります。
境内入口への石段参道。
こちらにも参道があるようです。どうやら西側からの参道もあるようで、こちらはなだらかな坂道になっています。
参道の両脇には狛犬さんが居ます。
造立年代は不明ですが、笑っているような顔をしたとても個性的な狛犬さんです。
石段参道を上り終えた境内入口には唐津型の狛犬が奉納されています。
「大正八年八月吉日建立」の刻銘が入ります。
流造の向拝が設けられた流造平入の拝殿。
向拝下の様子。「三島神社」の社号額が掛かります。
拝殿の中の様子。
透かし塀で囲われた流造の本殿。
手水舎。
三島神社の由来
三島神社(旧村社)は、値賀神社の分霊であり、値賀神社も旧村社であり、足利尊氏の南北朝時代の暦応元年(一三三八年)鎮座。それより一〇二年後の室町時代の永享十二年(一四四〇年)、第一〇二代後花園天皇の御代に、値賀村大字石田字津加根一三六九番地の此の地に鎮座される。(五五三年前)
その後、明治四〇年(一九〇七年)四月正殿並に拝殿を改築され、昭和三年(一九二八年)五月正殿の屋根を銅板葺に張りかえられ又、昭和十八年(一九四三年)三月太平洋戦争のさなか、出征軍人の武運長久祈願の為、氏子はもとより日参し、近隣市町村からも家族の無事帰還を願う参拝者があふれ、手狭になった拝殿を急遽、増改築して、日夜祈願祭につとめたが、昭和二十年(一九四五年)八月終戦となり神の恵みによって平和な日々が続き今日に至っている。三島神社御祭神
境内の案内板より
天忍穂耳尊 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 須佐之男尊 菅原道真
社務所。
境内北側に建立されている三島神社の改築記念碑。
北側参道からの境内入口。
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