こちらの両子神社は、JR唐津線東多久駅の南東およそ4.5kmの距離、佐賀県多久市東多久町大字納所平林地区に鎮座されています。
国道203号線「東多久町古賀山」の交差点を南、県道284号別府牛津停車場線を小城市牛津町方面へと向かい5kmほどの、道路の右側に広がる両子山の山裾にある平林集落の中央付近に位置します。
多久市の南端に位置し、小城市との市境にあたる納所地区はすぐ隣が肥前石工の里の牛津町ということから、何となく思わぬ出会いの期待が持てるのではないかとワクワクしながらの参拝となりました。
まず参道入口で迎えてくれたのが明暦二年建立の見事な肥前鳥居。期待を胸に歩を進めると、石段参道の途中にも承応元年の銘が入る肥前鳥居があり、三の鳥居をくぐり境内入口にくると肥前狛犬一対が迎えてくれました。
周囲を樹々で囲まれた静かな境内には唐破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立され、拝殿前には大正生まれの砥川型の蹲踞の狛犬が、本殿前ではまた新たに肥前狛犬一対が奉納されていました。
由緒によると、湯峯山熊野権現社と両子山王権現社が併合されたもので、湯峯山熊野権現社の創建は西暦九五七年と古く、御祭神は大山咋命、速玉男命、伊邪那美命、天照皇大神、事解男命の五柱となっています。
社頭。
両子神社の一の鳥居と二の鳥居が肥前鳥居だという案内板。
一の鳥居は、多久市重要文化財の明暦2年(1656年)建立の肥前鳥居です。
一の鳥居に掛かる神額。風化で消えてしまったのか、なんと刻まれているのか分かりません。
石段参道。
石段参道の途中にある二の肥前鳥居。
承応元年(1652年)建立の銘が入る柱。
案内板によると、右の柱には「敷嶋海西路肥前州小城郡諸松村鎮守」と彫られているとのことですが、目視で確認することはできませんでした。
二の鳥居に掛かるのは「山王大権現」の神額。
石段参道はまだ続きます。
いつもながら神社の長い石段は堪えますねw
三の鳥居は明神鳥居です。
三の鳥居には「両子神社」の神額が掛かります。
これを上るといよいよ境内です。
そして、境内入口でへとへとの私を迎えてくれたのがこちらの肥前狛犬ちゃんたちです!
それまでの息切れがすっかり回復してしまいましたw
肥前狛犬ちゃんがいる場所はすぐ横が崖になっているので、立ち入りができないようトラロープが張られていたため後ろが撮れませんでした。
でも安全第一、無理は禁物ですよね。
でも、こちらの肥前狛犬ちゃんたちは屋外に安置されているにもかかわらず風化が感じられず、表情も躰の造りもとてもしっかりとした状態で安置されていました。
使われている石が硬い素材なのかもしれませんね。
境内の様子。両側に神馬、そして注連柱の向こうに社殿が見えます。
鎮座地 佐賀県多久市東多久町2746
“多久市史第5巻民俗編”より引用
御祭神 大山咋命 伊邪那美命 事解男命 速玉男命 天照皇大神
御由緒 明治43年、両子山王権現社(995年創建)と湯峯山熊野権現社(957年創建)が合併し、
五神とした。
村社 両子神社 小城郡東多久村大字納所
“佐賀県神社誌要”より引用
祭神 大山咋命 速玉男命 伊邪那美命 天照皇大神 事解男命
長徳元年時の代官秋田豊次江州日吉神社の分霊を権現山の地に奉斎し、大永二年徳島治部大輔再興せり、而して境内に大神宮の末社あり、又天徳元年三月秋田豊定紀州熊野神社の分霊を納所に奉斎せり。明治四十三年七月十一日両社を併合し、祭神五柱となし此地の産土神と仰くことなれり。
手水舎。
拝殿。
そして拝殿前の狛犬さん。
石工は江頭友吉さん。大正4年5月生まれの狛犬さんでした。
向拝下には見事な龍の細工が施されています。
両子神社の神額。
拝殿の中の様子。じつに手入れが行き届いています。
透かし塀が巡らされた流造の本殿。
透かし塀越しに本殿を見ていると、なんと本殿前にもう一対肥前狛犬ちゃんがいるではありませんか!
急遽、拝殿に失礼してこの肥前狛犬ちゃんを撮影させていただくことに…
こちらの肥前狛犬ちゃんは多久市でも古いものだと言われています。
素材の石がもろいのかもしれませんが、とくに吽形の方の顔の風化が進んでいるようです。
え、お猿さん?
石祠群。
御堂。
境内の様子。
こちらの両子神社では、二対の肥前狛犬ちゃんと出会うことができて、もうテンションが爆上がりでしたw
こういう出会いがあるので、下調べなしの行き当たりばったり参拝は面白いんですよね~
さて、次はどんな出会いが待っているのでしょうか!
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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