黒尾神社 佐賀県武雄市朝日町大字中野黒尾

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武雄市の神社

こちらの黒尾神社はJR佐世保線高橋駅の北西およそ2kmほどの距離、佐賀県武雄市朝日町大字中野黒尾地区の集落南の町外れに鎮座されます。

JR佐世保線沿いの県道24号武雄多久線高橋駅の東400mほどの交差点から、県道331号北方朝日線に入りおよそ2.5kmほど北西へ進み、朝日町中野の交差点の南、高橋川に架かる井戸川橋を渡った先の西におよそ250mほどの黒尾山の麓に位置します。

石段参道を登った先の境内に、開放的な入母屋造りの拝殿と本殿鞘堂が建立されておりますが、鳥獣除けのためなのかどちらもかすみ網が張られておりました。

参道入口に立つのは寛政十二年建立の台輪鳥居。

鳥居には「黒尾大明神」の神額が掛かります。

黒尾山に向かって石段参道が続きます。

900年以前にこの地の東南300mほどの田圃の中に勧請され、350年以前に現在地へと遷座されたとあります。

また、黒尾大明神の御神体が杉の木でできているということで、この地区の住民の方は杉でできた下駄を使わないということでした。

社殿遠景。

入母屋造りの拝殿。

拝殿の中の様子。

御祭神 景媛

御由緒 黒尾大明神は神母景媛(武内宿禰の生母)を祭神とす。
元武雄郷にては創建最も久しく年月を経たる有数の神社にして其の年代は詳かならざれども九百年以前に勧請せし古社にして古文社により鎌倉府の崇敬浅からざりしことたりと古昔は現今の社地を距る一町余の東南に鎮座ありし毎年九月二十四日には厳格なる秋祭の式を行い其の馬場道には流鏑馬等ありて参詣人群集し非常に盛典なりしと言い今に神幸林馬場先馬場下宮ノ浦等の名あり又射手塚の現存するを見るも架空の伝説にあらざること明なり降て天正十一年夏(三百四十年前)悪疫大に流行也しかば前記の社地の余りに低湿にして穢れ多く為に神威を汚し奉らんことを慮り村民相謀り現在の高燥なる土地を選びて新に社殿を建立し十二像の薬師如来を大明神に勧請し祭神景媛の御側立として崇敬し奉りしかば悪疫頓に全滅也りと依て其願成就として十一月十一日に村民挙って大祭典を行い以て今日に至る明治維新の際神仏合祀を禁ぜらりしにより御側立たる薬師は光明院に遷座し奉りしも又後社殿に安置也り拝殿にある献額は安政四年今より百五十年前のものにして鳥居は寛政十二年の建立なり尚大ぎんなの側の大神宮は延宝八年の建立なり

社殿の案内板より

黒尾天神社。

菅原道真公座像。

黒尾の大銀杏。樹齢500年、樹高25m、幹回り9m、枝張り16m。

境内の様子。

参道の左側にある天照皇太神宮が祀られる社。

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