龍造寺八幡宮 佐賀県佐賀市白山

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佐賀市の神社

こちらの龍造寺八幡宮はJR長崎本線佐賀駅の南方およそ1.2kmほどの距離、佐賀県佐賀市白山一丁目の東側の街なかに鎮座されます。

佐賀駅前から、佐賀県道29号佐賀停車場線を南へ佐賀県庁方面に向かい、約1kmほどの中央橋交差点を右に入るとすぐのところに位置しています。

境内入口には高さ3.40メートル、笠木の長さ4.80メートルの立派な肥前鳥居が立っており、鳥居をくぐった先には唐破風付きの銅板葺き入母屋造りの拝殿が建っております。

境内入口に立つ肥前鳥居。

笠木、島木、貫、柱とも三本継の肥前鳥居特有の様式をしっかり残しておりますが、貫の中央の部分は新しい石材で補修されています。

鳥居には「龍造寺八幡宮」の神額が掛かります。

おびただしい刻銘が入る鳥居の柱。建立年月日を確認することはできませんでしたが、慶長9年(1604年)の刻銘が入っているそうです。

御祭神 応神天皇(誉田別命)
相殿神 神功皇后 玉依姫命 天児屋根命 住吉三神
御由緒 文治三年(一一八七)龍造寺季家が御神殿を創建し鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を勧  請して奉安し、龍造寺八幡宮と称して崇拝したのに始まる。降つて慶長九年(一六〇四)初代藩主鍋島勝茂は佐嘉城築城に際してこれを八幡小路に遷座し、現在の神殿並に拝殿を造営し常夜燈を寄進、藩祖直茂の室、藤の方は肥前鳥居(現佐賀市文化財)を寄進した。 爾後歴代の藩主は佐賀地方の開府の神、佐嘉城の鎮護、武士の守護神として尊崇し、事あるごとに祈願または報告祭を執行した。 明治維新廃藩置県となるに及んで藩費運営の制度はなくなり氏子(十八ヵ町)において一切を奉仕することになつた。

案内板より

参道には朱色に塗られた神明鳥居その先には神橋があります。

参道左には元禄14年3月16日の刻銘が入る「八幡大菩薩 稲荷大明神」の石祠があります。

案内板によると、唐人町のある大店に祀られていたものが鏡円寺に遷され、そののち平成27年にこの場所に遷されたとあります。

手水舎。

神橋。

多布施井樋水路の説明板。

唐破風付き銅板葺き入母屋造りの拝殿。

子育て恵比須。

拝殿前の狛犬。「慶應四年龍集 戊辰晩春」「伊勢屋町 石工 秀島政助」の刻銘が入っております。折り畳んだような後肢の形状が独特の個性的な狛犬さんです。

慶応4年ということは明治元年になりますね。9月に元号が変更になったので、晩春ということは5月ごろ奉納されたもののようですね。

拝殿の中の様子。

天井絵もまだ美しい。

千鳥破風と唐破風付き流造の本殿。

こちらの敷地内にはもう一つ「楠神社」がありますが、こちらはまた別にご紹介したいと思います。

さて、こちらの龍造寺八幡宮さんの本殿は見事でしたね。これほど手の込んだ造りの本殿を初めてだったのでとても感動しましたが、国内を見たらもっともっとすごい神社があるんでしょうね。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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