満穴天満宮 佐賀市本庄町大字末次字満穴

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佐賀市の神社

こちらの満穴天満宮はJR長崎本線佐賀駅の南方およそ5kmの距離、佐賀県庁南の「本庄町袋」交差点から1.8kmほどの佐賀市本庄町大字末次字満穴地区に鎮座されます。

満穴公民館の東隣の小さな境内の入り口には、小ぶりではあるものの造形の素晴らしい肥前鳥居が奉納されており、鳥居をくぐれば白砂の境内には三尺幅の石畳の参道が敷かれ、その先に再建されたと思われる入母屋造の拝殿と流造の本殿が建立されています。

拝殿の前には明治生まれの岩乗り狛犬が守護していますが、一目で砥川型だと分かるその作風に砥川石工の伝統とプライド、また技量の確かさが裏付けられています。

創建年代は不明ですが、鳥居に「寛文十年歳次庚戌三月穀旦」の刻銘が有ることから、江戸時代の徳川家綱、霊元天皇のころの創建と思われます。

神社遠景。

社頭。参道入口に幟竿と幟杭、境内には白砂が敷かれ三尺幅の石畳の参道が整備されています。

境内入口に奉納されている肥前鳥居。

小ぶりではあるが、笠木に柱、貫がともに三本継ぎの堂々たる肥前鳥居です。

鳥居に架かる「天満宮」の神額。

両の柱には沢山の刻銘が入っていますが、左の柱の裏側(中央の画像)には「寛文十年歳次庚戌三月穀旦」の刻銘が確認できます。

笠木の反り具合と切っ先の膨らみがなんとも言えませんw

手水盤。

向拝付き入母屋造の拝殿。向拝には飛び狛が居ます。

拝殿前では砥川型の岩乗り狛犬が睨みを利かせています。

砥川石工の伝統に裏打ちされた作風は、どなたが造られてもその表情はまさに砥川型の狛犬のそれですね。

左の台座に「明治三十六年癸卯八月十四日」の刻銘、右の台座に「小城郡三里村字右原 石工 金原今朝一」の刻銘が入ります。

拝殿の中の様子。

流造の本殿。

庚申塔。

「天満宮」の神額があります。きっと他にも鳥居があったのでしょうね。

石仏。

町中の天満宮でしたが、とてもキレイに維持されているお社でした。これからも変わることなく大切にしていっていただきたいものです。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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