こちらの海童神社は佐賀市川副町大字犬井道南七区の街なかに鎮座されます。
肥前国の戦国大名の龍造寺隆信公が、土橋栄益らの謀略によって築後に追われたのち、佐賀城奪還のために海を渡ってこの地に上陸して勝利した後、鎮護の神として天文22年(1533年)に創建された由緒正しき神社です。
私が馴染みがあるのは「お粥占い」の神社だということでしょうか。3月15日に「お粥開き」が行われて、そのお粥に生えたカビの色具合で1年間の吉凶を占うという行事です。

社頭。

石造り太鼓橋。

鳥居には「海童神社」の神額が掛かります。
柱に記された銘文を読むと、安政二十○年11月に建立されたと思われる鳥居です。
貫の部分は新しい石材と交換されえているものの、笠木と島木や柱の3本継ぎという肥前鳥居の特徴が見られます。おそらく後期型の肥前鳥居だと思われます。

鎮座地 佐賀県佐賀市川副町大字犬井道1098
境内由緒書きより
御祭神 上津綿津見神(うわつわたつみのかみ) 中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
相殿神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
由 緒
海童神社は、天文二十年(1551年)龍造寺隆信公、筑後三潴郡一木村に蟄居され、二十ニ年七月に至り佐賀城を奪還せんとして海辺に行かれ渡舟を求めらました処、会々遥の沖に一漁舟がいるのを発見され、之を指し招きになりました処、岸に近づいて来ました。
その漁夫は園田二郎兵衛と犬井道新兵衛の二人で、喜んで乗舟させ水先案内を務め、海上無事に鹿ノ江崎に上陸させ土民と語って篤く労し護衛し、此の土地の状況を詳かに言上しました処、隆信公之を開き潮水侵入の害をお察しになり就職後、代官成富甲斐守大蔵信種に命じられ防堤を増築し海水の侵入を防ぎ鎮護の神として主神三柱を斉き奉り海童神社と仰ぎ、航海漁業、交通だけでなく農業、商工業、諸産業の守護守として尊敬されております。

手水舎。

注連柱(しめばしら)を抜けると、そこに現れたのはなんと、狛犬さんならぬネイビーブルーの恵比寿様と大黒天様でしたw
恵比寿様(左)と大黒天(右)

この恵比寿様と大黒天様は、地元の漁業組合の方が海の安全と大漁を願って奉納されたもののようです。

御神木。
そして最初に迎えてくれた青銅製の狛犬さんです。
なんとこの海童神社には5対の狛犬さんがいらっしゃいましたよw

昭和11年10月生まれの狛犬さんでした。
そしてこちらが次に迎えてくれた狛犬さんです。
「大正八九年南西搦 高潮被害復旧工事 竣工記念 請負人 二代石工 池田安太郎」(左)
「海童神社 欄干及び石垣工事 初代石工 池田文左エ門 二代石工 安太郎」(右)
台石の銘文からすると、おそらく大正9年ごろに建立奉納された狛犬さんだと思われますが、吽形の前足の間には仔狛が寝そべっているようです。

神馬。
そして3対目の狛犬さん。
建立年月日は不明ですが、阿も吽も玉乗りで身体の割には頭でっかちの新しい狛犬さんでした。

こちらが拝殿。

拝殿に掛かる「海童神社」扁額。
拝殿の中の様子と天井絵。

本殿。

境内社の「八幡社」。
そして社を護る4対目の狛犬さんです。
建立年月日は不明ですが、尾立垂れ耳の狛犬さんでした。

境内社「池の森稲荷神社」の鳥居。

このお社に「弁財天社」も一緒に祀られているようです。
そしてこちらを護る5対目の狛犬さんです。
風化が進んでいるのか、あるいは相当古いものなのかわかりませんが、補修を試みた様子はあるものの阿の顎の部分が大きく欠損していました。
特徴的なのは、立尾が大きくて幅広くてこんな尾の狛犬さんは初めて見ました。

御神木。

「綿津見神御池(みそぎいけ)碑」と「水神」。

氏子、部落ごとに祀ってあった神様をまとめてお祭りしている社。
町中にある神社で、難儀したのは道路が狭いことと車を駐車する場所がないことでしたw
思いがけなかったのは狛犬さんが5対もいたことかな。
さて、次は神社ではどんな鳥居と狛犬さんに巡り合えるでしょうか。今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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