こちらの天満宮は、長崎道自動車道佐賀大和ICの南南東1.5kmほどにある、佐賀市大和町尼寺の国分地区に鎮座されております。
大和ICから国道263号線を南下し、尼寺橋北の交差点を東に進み次の尼寺橋の交差点を東に、県道48号佐賀外環状線をおよそ1km走り国分南交差点を北に300mほど行った街なかに位置します。
周囲はまさに住居やショッピングセンターなどが立ち並ぶ密集地になります。まるで街の風景に溶け込んだかのように静かに佇むこの古社ですが、移り行く国分地区の様子をずっと見守り続けてきたのでしょう。
そう思うと、鳥居をはじめ狛犬や社殿の一つ一つに哀愁を感じるとともに愛おしさまでも感じてしまいました。
やっぱり齢のせいですかねw

社頭。

時代の流れを感じる年季の入った鳥居。

かろうじて「天満宮」と文字が読み取れる鳥居に掛かる神額。

佐賀市の案内板には「国分神社」と書かれています。
どうやら住民には国分神社の社名で親しまれているようです。

拝殿。
そして拝殿前にいらっしゃる恐竜型の岩狛さんです。
筋肉質で獰猛な感じのする狛犬さんで、吽形の顔はまさにあの東宝映画の怪獣「ゴジラ」を彷彿とさせます。

明治19年(1886年)2月5日生まれの狛犬さんでした。
本殿。

石仏と石祠。
日本国内には天満宮が12,000社あると言われています。
言わずと知れた菅原道真公を祭神とする神社で、多くの方には学問の神様ということで知られていますが、当初は雷神として祀られていたことをご存じでしょうか。
無実の罪で九州の太宰府に左遷されてしまった道真公は、二度と都の土を踏むことなくやがて太宰府の地で亡くなったのですが、その後に都では異変が相次いだと言われています。
まず道真公を陥れた張本人が39歳という若さで亡くなり、都では台風による洪水や疫病の流行が相次ぐのですが、しまいには天皇の住まいである清涼殿や紫宸殿に雷が落ちて死者が出たのです。
雷を落としたのは道真公で、怨霊が雷神となって祟ったのだと言われるようになったそうです。
時が過ぎるとやがてその記憶も薄れていき、道真公が優秀な学者であったことからいつしか学問の神様として祀られるようになったのだそうです。
こうしたことも神社巡りをするうちに知り得たことで、ブログに書き記すことがなかったらおそらく一生知ることはなかったのだろうとあらためて感じます。
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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