こちらの厳嶋神社は、JR長崎本線佐賀駅の南南東およそ11kmの距離、佐賀県佐賀市川副町大字早津江中津地区に鎮座されます。
国道444号大詫間光法停車場線の「中津」交差点の東200mほど、早津江川西側に広がる畑地との境目辺りに位置しています。
生活道路となっている参道入口に一の鳥居が立ち、100mほど先の境内入口の二の鳥居をくぐると唐破風千鳥破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。御祭神は伊都岐島姫神のほか、相殿神の菅原道真、應神天皇、表津海津見神、中津海津見神、底津海津見神の五柱が祀られます。
鎮守の森を目指して行くもののなかなかたどり着けず、やっとたどり着いたら鋭角に曲がる道路のど真ん中に鳥居が立っているのを見たら思わず笑ってしまいました。
周りは穏やかな田園風景が続いていて、本当に時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥ってしまいそうな和やかな場所でした。
参道入口に建立された台輪鳥居。参道も現代ではすっかり生活道路となっているようです。
明治26年建立の鳥居には「厳嶋社」の神額が掛かります。
案内板。
厳島(いつきしま)神社の由緒
厳島神社の祭神は「伊都岐島姫神」(いつきしまひめのみこと)「多紀理比売命」(たごりひめのみこと)「多岐都比売命」(たぎつひめのみこと)の三柱の神であります。
この神社は川副町字中津、吉村、和崎の産土神社(うぶすなのかみ)であります。
勧請(かんじょう)は詳(つまび)らかではありませんが元禄初年の頃、前の鎮守の神「辯財天」(べんざいてん)が怒涛(どとう)に打ち流されて諸富町の大中島に漂着されました。大中島の人は神様が流れておいでになったと拾って祀り(まつり)ました。中津の人びとはこれを取り戻そうとしましたが、大中島の人はこれを聞きません。ここにひと悶着(もんちゃく)が起こりました。そこで元禄十二年(西暦一六九九年)当時の三代藩主鍋島綱茂公は佐嘉城内の向陽軒に祀ってあった社(やしろ)をこの地に遷して厳島神社を建立し潮土居の安全を御祈願なされました。それ以来お供米として毎年米一石ずつをお供えになったと伝えられています。
境内に奉納されている二の鳥居。
「厳嶋神社」の神額が掛かります。
手水舎と倒れ掛かった松の木。
つっかえ棒で支えられながらも、負けずにそのまま成長していっている様子が健気ですね。
唐破風千鳥破風付き入母屋造りの拝殿。
村社 厳島神社 佐賀郡中川副村大字早津江
“佐賀県神社誌要”より抜粋
祭神 伊都岐島姫神 菅原道真 應神天皇 表津海津見神 中津海津見神 底津海津見神
此地方海岸風波荒く、屢堤防の漊決ありて、潮害を被ることあれは、藩主これを憂ひ元禄十二年時の藩主鍋島綱茂城内向陽軒に親祭せる主神を、この地に奉遷し潮害轉除を祈誓せられ爾来祭資を供進し時々社殿の営繕をなして崇敬せられ、里人も鎮守の神と仰けり、明治六年村社に列せらる、合祀により菅原道真外四柱の祭神を追加せり。
拝殿前には社殿と不釣り合いな真新しい狛犬さんが奉納されていました。中国製の岡崎型狛犬かと思われます。
透かし塀に囲われた流造の本殿。
神庫。
石祠群。
御神木。
どちらのお社を参拝させてもらっても思うことなんですが、清掃されていない神社なんて一つもお目にかかったことがありません。
こうした氏子さんたちの毎日の管理には本当に頭が下がる思いです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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