こちらの西宮神社はJR長崎本線牛津駅の北東およそ300mの距離、佐賀県小城市牛津町柿樋瀬江津地区に鎮座されます。
牛津町柿樋瀬と小城町を結ぶ県道42号線が交差する国道207号線の「江津」交差点の西の角に位置し、すぐ左隣には小城警察署牛津町交番があります。
道路の歩道際の参道入口に立つと、その先には社殿までに三基の鳥居が建立されているのが見えます。一の鳥居をくぐると赤煉瓦で囲われた境内入口に二の肥前鳥居が奉納され、石造りの神橋を渡ると控柱が付いた角柱の個性的な三の鳥居が建立されています。
三尺ほど参道の続く先に砥川型の岩乗り狛犬が奉納され、その先に鍋島杏葉紋が入る拝殿幕が掛けられた入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。
西宮神社と言えば、福男選びで有名な兵庫県の西宮神社が思い浮かんだのですが、由緒によるとやはり大化2年に勧請したとあり、その後小城藩が社殿を建立したとのこと。御祭神はもちろん蛭子命です。
こちらが一の鳥居。「西宮社」の神額が掛かります。
入口の周囲も綺麗に手入れされており、まっすぐに伸びた参道に三つの鳥居が並んでいるのが分かります。
こうして見ていると、鳥居の大きさを境内に近くなるほど小さくして、こういう感じに見えるようにしているかのように思えるのですが、気のせいでしょうかw
二の鳥居は延宝4年(1676年)建立の肥前鳥居。小城藩二代藩主の鍋島直能公の寄進、願主は大野輿兵衛さんのほか数名、石工は武富清右衛門増重さんの刻銘が入ります。
二の鳥居に掛かる「西宮」の神額。
クリークを跨ぐ参道に掛かる単径間桁橋の石造り神橋。
こちらは三の鳥居。
柱が四角形という鳥居ですが、両部鳥居のように控柱が付いています。
境内の由緒書きからすると、九代藩主の鍋島直尭公が建立したものだとされています。
横の方から見るとこんな感じ。
両部鳥居のような個性的な鳥居でした。
手水舎。
大化二年(六四六)に勧請されたと伝えられる。後に小城藩より社殿を建立崇敬された。境内には二代鍋島直能、九代同直尭建立の鳥居がある。
西宮神社の祭神夷神は伊邪那岐神と伊邪那美神の御子の蛭子で、葦船に入れて流され、摂津国(兵庫県)西宮に流れ着いた。西宮の人々が夷三郎殿と号したことから、夷三郎大明神として崇められたといわれている。夷神は商業の神様、福の神として一般に広まって各地に勧請されている。
銅板葺き入母屋造りの拝殿。
こちらの西宮神社は祭神が「夷神」。つまり恵比須さんで、金運・開運・商売繁盛と商売の神様としてあがめられています。
そして拝殿前の狛犬さん。
幼児体型にも見える砥川型の岩乗り狛犬さんですが、筋肉質の後ろ脚が逞しく精悍さを感じます。
拝殿の天井近くの彫刻物です。
獅子、或いは狛犬でしょうか?
周囲が笹の葉のように見えるので、ひょっとするとトラなのかもしれません。
拝殿の中の様子。
流造の本殿。
よく見るとすべて石造りです。
御神木の楠の巨木。樹齢はそれぞれ250年と300年。
長い間この神社を守ってきた御神木です。
境内横の石祠群。
今日は肥前鳥居と可愛い狛犬さんと出会えました。
肥前鳥居を見るといつも思うことなんですが、なんとも荘厳な感じがしてその神社自体がとっても大切に守られてきたように感じてしまいます。
そのダイナミックな曲線美にうっとりとしてしまいますw
肥前石工の職人さんたちの芸術性の高さに改めて感心させられました。
さて、また新たな狛犬さんや肥前鳥居に出会えますようにお祈りして終わります。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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