こちらの沖神社はJR長崎本線牛津駅の南方1.3kmほどの距離、県道43号牛津芦刈線「天満町」交差点から南へ1kmほどの四つ角を西に進んだ田圃の中、クリークと呼ばれる農業用水路が網の目のように張り巡らされた佐賀県小城市芦刈町浜枝川浜中地区の集落の中ほどに鎮座されます。
参道入口に建立された一の鳥居をくぐると、きれいに整備された参道が田圃を分けるように一直線に延びており、コンクリート製の神橋を渡り二の鳥居をくぐった先の鎮守の森の中には、唐破風付き入母屋造りの拝殿と石造り本殿が納められた流造の本殿覆屋が建立されています。
拝殿の中には明治37年に掲げられた由来書きや天井画などがあり、明治37年生まれの砥川型では珍しい構えの狛犬が守護しています。天正年間の創建で、御祭神は大綿津見神、大鷦鷯尊、淀姫命、菅原道真の四柱です。
参道入口に立つ一の鳥居。
鳥居に掛かる「沖神社」の神額。
田圃を割くように一直線伸びる参道。
クリークに架かる神橋。
石造りではなくコンクリート製で、欄干の親柱には「千鳥橋」の刻銘が入ります。
境内前に立つ二の鳥居。
二の鳥居にも「沖神社」の神額が掛かります。
瓦葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿。
そして拝殿前の狛犬さん。
阿吽ともにかまえ型の狛犬さんでしたが石工さんのお名前は確認できませんでした。
出雲方の構えとはまた違った独特な構えで、狛犬の体表には巻き毛を表現したと思われる丸い模様が特徴的な、明治37年(1904年)10月15日生まれの狛犬さんでした。
唐破風の向拝下には鳳凰と思われる細工が施されています。
拝殿内の天井画。
拝殿内に掲げられている「浜中沖神社石祠建設の由来」書き。
こちらは参道入口に立つ案内板です。
浜中に所在する沖神社の祭神は、大綿津見神、大鷦鷯尊、淀姫命、菅原道真の四柱で、創建時期は不明ですが天正年間(1573~1592)以前に勧請されたものであるという言い伝えが残されています。
当神社は、海運守護や豊漁等を願う芦刈の人々に海の守り神として厚く信仰されてきました。江戸時代には神社の社殿造営御供米等は代々小城藩主が寄進する郷社として村人の尊崇を集めました。
明治六年(1873)に村社となり、その後明治四十一年(1908)には神饌幣帛料供進指定神社として取り扱われるようになり祭式の際には県知事から幣帛料が献納されていました。
芦刈町及び牛津町南部一帯は、天山山系からの皮によって運ばれた土砂と有明海の潮の満ち引きで堆積した干潟土により陸地化した干拓地であるため、この地域には海との関りをもつ沖神社が十二ヵ所祭祀されています。
石造りの本殿。
本殿鞘堂。
稲荷大明神。
石祠。
石祠。
神社遠景。周りの田圃もそろそろ田植えの準備が整いつつあるようです。
芦刈町には本当に沖神社がたくさんありますので、残りの沖神社も近いうちに順次ご紹介していきたいと思います。
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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