こちらの愛宕神社は、JR長崎本線牛津駅の西南西およそ2.5kmの距離、佐賀県小城市牛津町上砥川谷地区に鎮座されます。
国道207号線の「砥川小学校前」の信号付近にある、小城市立砥川小学校の北方、多久市との境に立つ標高200mほどの里山の丘陵部分に位置しています。
参道入口に建立された「愛宕山」の神額が掛かる明神鳥居をくぐると、土砂崩れ防止のためにコンクリートが吹き付けられた壁面があり、そこに設けられた30メートルほどの石段をジグザグに登って行くと、山を切り開いた場所に簡素な造りの切妻造りの拝殿が建立されています。
流造の本殿覆屋には木造の本殿が納められており、そこに白馬に跨る人の像が祀られていました。おそらく愛宕権現の本尊の勝軍地蔵菩薩であろうと思われ、鳥居の神額をはじめ神仏習合の名残が色濃く残されています。
創建は寛永年間とされ、御祭神は伊奘諾尊と伊奘冉尊の子である軻遇突知神(かぐつちのかみ)という火の神様です。
先に参拝させていただいた熊野山大権現からは南東100メートルととても近い場所にあり、地図上では大きな溜池を背にしておりますが、実際には高さが20メートルほどの里山の上にあるので溜池が視界に入ることはありません。
社頭と参道入口に立つ明神鳥居。
鳥居に掛かる神額には「愛宕山」とある。
まるでお寺のような社号ですが、おそらくこれは神仏習合のときのものなのでしょうね。
鎮座地 佐賀県小城市牛津町上砥川
御祭神 軻遇突知神
御由緒 愛宕神社は、軻遇突知神を祀られ、火の神として全国各地に点在している。
参道入口の案内板より
当神社は、山伏石蔵坊(後藤遊山)の開基と伝えられ、正面右側の崖下に赤面金剛、
猿田彦などの庚申塔があり、庚申の日は60日一度めぐり、この日眠らずに過ご
すと健康長寿がかなうという道教の信仰がある。
軻遇突知神とは記紀神話における火の神様で、伊邪那岐命と伊耶那岐命との間に生まれた神だということです。
ただ、軻遇突知神が火の神であったために出産時に伊耶那岐命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊耶那岐命は亡くなってしまったといいます。
そのため、怒った伊邪那岐命に十拳剣天之尾羽張で首を落とされて殺されてしまったという悲しい話が残る不憫な神様のようです。
社殿。
同じ谷地区に鎮座する熊野山大権現の案内板によると、こちらも後藤遊仙によって寛永年間に開山されたようです。
流造の本殿。
本殿の中の様子。
白馬に跨った人の御神体が祭祀されています。これはおそらく、神仏習合の愛宕権現の本尊の勝軍地蔵菩薩であろうと思われます。
写真を覗いたときに一瞬ギョッとしましたw
よく見ると、どうやら阿形の狛犬さんの上半身のようですが、一体どんなふうになっているんでしょうか。
大黒様。
庚申様。
生田大明神の石祠。
牛津町の砥川地区と言えば、肥前石工の発祥の地なので狛犬さんがいることを期待したのですが、残念ながらこちらには安置されていませんでした。
ただ、軻遇突知神という悲しい火の神様の存在を知ることができたのは、こうした神社巡りをしていたからこそだと感じます。
さて、次はどんな出会いが待っているのか楽しみですw
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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