こちらの乙宮神社はJR長崎本線牛津駅の南東およそ2kmの距離、佐賀県小城市芦刈町芦溝中溝地区に鎮座されます。
県道43号牛津芦刈線の「天満町」交差点から南へ1kmほどの場所から、東側の佐賀市との境界を流れる福所江川との間に広がる水田地帯の中を走る農道を1kmほど行ったところにある永林寺の東隣に位置します。
参道入口のクリークに架かる橋を渡り参道を進むと、以前は小川が流れていたのか水無川に架けられた神橋があり、境内入口には神仏習合の名残を残す「乙宮大明神」の神額が掛かる鳥居が奉納され、境内には明治生まれの砥川型岩乗り狛犬が守護する入母屋造の拝殿と流造の本殿が建立されています。
創建は天文五年と伝えられ、御祭神は宗像三女神と呼ばれる田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命の三柱です。
社頭。
参道入口に建つ案内板。
「乙宮神社」の由来
乙宮神社の祭神は、田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命の三柱である。鴨打胤忠が天文五年三月、鴨打氏の居館内に社を勧請したとされている。その後寛文年間(一六六一~七二)に同家の家来遠田晴秀を京都吉田家に派遣し、祠官の資格を取得させた。以来、社職として中溝、下古賀、東道免、西道免、舎人、永田、戸崎の七ヶ村を氏子とし、春秋の祭祀を始め、氏子社の祭祀等も執り行った。
乙宮神社は明治初期に作られた『小城郡村誌』の蘆溝村・古墳の中で「鴨打氏陸奥守城址」とあり、「今ノ乙宮神社及永林寺ノ地ナリ地平田ニ連リ濠水環続ス東西凡七十間南北凡百五十間、残礎廃井ノタルヲ認ムル所無シ」と記されている。このことから鴨打氏の居館が乙宮神社周辺にあったと推定されている。
仏像。
参道右側には水無川に架かる神橋があります。それとも昔はここにも川が流れていたのでしょうか。
神社遠景。
境内入口に立つ鳥居。
鳥居に掛かるのは「乙宮大明神」の神額。
お隣の永林寺との間の小川に架かる神橋。
御堂。
御神木と土俵。
手水舎。
唐破風付き瓦葺き入母屋造の拝殿。
そして拝殿前を守護するのは砥川型の岩狛さんです。
明治23年(1890年)2月生まれの岩狛さんは、江頭弥左エ門が制作された狛犬さんでした。
拝殿の中の様子。
銅板葺き流造の本殿。
神庫。
稲荷社。
石祠。
石祠。
こちらの乙宮神社さんにも土俵がありましたが、神社巡りをしていると土俵がある神社を結構見かけます。
五穀豊穣を占うための神事として相撲が奉納されていたとのことで、その起源は古く弥生時代のころからだと言われているようです。
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