増田神社 佐賀県唐津市肥前町田野高串

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唐津市の神社

こちらの増田神社は唐津市肥前市民センターの南東およそ3kmほどの距離、佐賀県唐津市肥前町田野高串地区の町外れにある里山の裾野付近に鎮座されます。

国道204号線の古保志気交差点を南下し、約2.5kmほど車を走らせたところにある高串漁港の「高串漁民センター」の向かい側に立つ案内板から北へ、立ち並ぶ民家の間を縫うように300mほど歩いたところに位置します。

増田神社の祭神は巡査大明神で、その御神体は増田敬太郎巡査の木像です。警察官が祭神の神社というのは日本でも他にはなくこの増田神社が唯一無二のお社です。

明治時代に伝染病のコレラが蔓延したときに、増田巡査の献身的な働きがあってコレラが終息したのですが、残念ながら増田巡査ご自身がコレラに罹患して亡くなられたそうです。そこで、増田巡査に救われた地域の皆さんが殉死された増田巡査を祀られたんだそうです。

この案内板から入って行きます。

迷子になることはありません。数メートルごとに道しるべの案内板が建っておりますw

参道入口に立つ一の明神鳥居。

「増田神社」の神額が掛かります。

参道脇には沢山の石灯篭が立ち並びます。

二の明神鳥居。

二の鳥居には「巡査大明神」の神額が掛かります。

奉献の碑。

三の鳥居の前にも沢山の石灯篭が立ち並びます。

大正2年(1913年)建立の狛犬。

境内の案内板。

 交通手段のない山道を超えて4日後には高串へ到着した増田巡査は、区長と相談の上で
患者と健康な人との接触を断つため発症者の家に縄を張り巡らせて人の往来を禁じた。
 また、住民には生水を飲まない、生で魚介類を食べないなど厳しく指導して回ったが、
薬を飲んでから亡くなった発症者もいたことから「毒薬なんか飲まない」と誤解した発症
者もいたが、増田巡査は根気よく説得を続けた。

 感染を恐れて遺体の運搬が拒まれていることを見かねた増田巡査は、自分で遺体を消毒
したあとむしろに巻いて背負って急な坂道を何度も登っては墓地に埋葬していった。不眠
不休で献身的に働く増田巡査に対し住民は次第に胸を打つようになったが、疲労が祟って
高串着任の3日後についに増田巡査自身も感染してしまった。

 容体は急速に悪化し、「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。高串のコ
レラは私が背負っていきますから御安心下さい。十分お世話せねばならぬ私が大変御厄介
になりました。」と言い残して翌日死去する。その言葉通り、猛威を振るっていたコレラ
は終息し再び発症する村人はいなかったとされる。

wikipediaより抜粋

三の明神鳥居。

三の鳥居には「秋葉神社」の神額が掛かります。

ここはもともと秋葉神社で、荼毘に付された増田巡査の遺骨は故郷の熊本県泗水町に埋葬されましたが、恩義を感じた村人たちが分骨してもらってこの秋葉神社の一角に埋葬されたそうです。

当初は石造りの小祠が建立されたそうですが、人づてに信仰が広まったことで本格的に神社の体裁を取るようになり、明治29年(1896年)9月に拝殿が建立されその後二度の増築を行い現在に至っているようです。

四の明神鳥居。

「増田神社」神額。

手水舎。

入母屋造りの拝殿。

拝殿の中の様子。

銅板葺き流造の本殿。ここに御神体の増田巡査の木像が安置されているはずですw

参道途中にある稲荷社。

増田巡査が亡くなった2日後、コレラに罹患した子供を看病していた村人の枕元に増田巡査が夢枕に立ったそうです。

「高串のコレラは私が冥府に持って行くので、しっかり子どもの看護を続けなさい」と言って消えたそうですが、この人の他にも2人の人が同様の夢枕を見たということで大騒ぎとなったそうです。それが神格化につながったようですね。

いまでは日本で唯一の警神として警察関係者の参拝が絶えないようです。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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