立派な肥前鳥居があるということで、佐賀県三養基郡みやき町に鎮座する中津隈宝満神社へ参拝に参りました。
ネットで検索したみやき町の観光サイトには神社の所在地の記載がなく、某大手サイトに所在地の記載があったのでその番地をカーナビに入力して出発しました。
ところが、目的地付近に到着のアナウンスがあったもののそこは住宅地で、とても神社がありそうな感じではなかったもののどこかに鳥居があるはずと行ったり来たりを繰り返す羽目に。やっぱり情報収集はしっかりやらないといけませんねw
住宅地を何度も徘徊する車を不審に思われたのか、自宅から出てご年配の男性が出てこられたので事情を話すと中津隈宝満神社の場所を教えてくださいましたが、私たちが右往左往していたところとはけっこう離れた場所でした。

これが一の鳥居。本当に立派な肥前鳥居ですね。

「寶満宮の」神額。ブルーとレッドの塗料でカラーリングがしてありますw
肥前鳥居の証ともいえる三本継ぎの柱の刻銘にも赤い塗料が塗り込まれています!
これ、私たちは確認しやすいのですが、なんか…ありがたみが損なわれるような気がしますw

一の肥前鳥居をくぐり、石畳の参道を30メートルほど上ると境内への石段があり、そこに二の鳥居が立っておりました。

こちらの神額も、ゴールドとブルーとレッドのカラーリングでかなり派手派手ですw

鎮座地 佐賀県三養基郡みやき町大字中津隈3792
御由緒 建立の歴史は北茂安校区内では千栗神社の次に古く、天平4年(732年)に筑前国竃門山宝満宮(現太宰府市)の神霊を勧請、松本に神社を建立しました。弘仁4年(810年)に現在の地に社殿を移し、その後山王社・太宰府天満宮を勧請したと由緒年紀に記してあります。
みやき町観光情報「みやきsanpo」より引用

唐破風に入母屋造りの拝殿。
そして拝殿前の狛犬さんです。
カラフルに彩られた狛犬さんは、阿形は蹲踞で吽形は構えの一対でした。
ですが、このカラーリング…ちょっと可哀想な気がするのは私だけでしょうかw

寛政6年(1794年)3月生まれの狛犬さんでした。
流造の本殿。


天神様の石祠。奥の方では何やら測量をしておられました。

なんの測量なのだろうかと思っていたら、この場所はどうやら古墳のようです。
前方後円墳があるようで、「中津隈宝満神社前方後円墳は、前方部が神社の本殿により削平を受け、今では後円部のみが残っております。残存する後円部は高さ約七m、直径約三十六mを測ります。詳細な調査は行われていませんが、発見された埴輪や須恵器から、五世紀中頃~後半に築かれたものと推察されます。」と案内板に書かれていました。
末社群。左から「太神宮」「庚申社」「権現社」。

御堂。

境内の様子。
樹齢300年の御神木の楠。
今日はいろんなものがカラフルに彩られた中津隈宝満神社でした。最後までお読みいただきありがとうございました。
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