こちらの神社はJR長崎本線肥前鹿島駅の北東、国道444号線の北鹿島小学校入口交差点から東に約1キロほどの、田園地帯の中にまばらに住宅が立ち並ぶ閑静な場所に鎮座されています。
佐賀県の平野部によく見られる、クリークと呼ばれる農業用水路が網の目のように張り巡らされた田畑の中にポッカリと浮かぶように肥前鳥居が立っていました。
農繁期になると賑やかになるのでしょうが、この日は地元の人ともまったく出会うこともなくゆっくりと撮影を終えることができました。

肥前鳥居。貫の部分が新しい石材で補修されていますが、笠木と島木の特徴はまさに肥前鳥居そのものです。

肥前鳥居には「神明宮」の神額が掛かっていますが、以前は「雨宝童子神社(うほうどうじじんじゃ)」と呼ばれていたそうです。
雨宝童子とは、天照大神が日向に下生(げしょう)した時の姿を言うそうです。
御由緒 昔は「雨宝童子神社」と呼ばれていましたが、至徳元年(1384)、伊勢神宮をまつり、神明宮と改めました。 代々鹿島鍋島藩主の信仰が厚く、祭礼や造営費なども藩費でまかなわれていました。明治3年(1780)に一度は高津原に移されましたが、常広区民の願いで元の場所に戻りました。
「北鹿島の歴史を歩こう」より

入母屋造りの拝殿。
拝殿前の狛犬は阿形は先代の塩田方の岩狛さんでしたが、吽形の方は岡崎方の狛犬に代えられていました。
こちらの狛犬さんは体型といい顔立ちといい、これまで見てきた狛犬さんの中では一番ハンサムな狛犬さんといってもいいかと思います。そういうことで、吽形の姿がなかったのは本当に残念でした。

拝殿の中の様子。

銅板葺き流造の本殿。

境内社。

末社。
こちらの神明宮でも相方の狛犬が新しくなっていましたが、こうした状況はあちらこちらの神社でも見受けられるようになってきました。
雨や風にも耐えられるようにと木材から石に変わったのでしょうが、石も長い年月を自然の中にさらされると劣化していってしまうんですね。
もしかしたら近い将来、こうした文化財がどんどん消失していってしまう時代がやって来るのかもしれませんね。
そうなった時のためにも、こうやって記録として残していくのは大事なことなのかもしれませんが、永久にブログを運営していけるわけではないので気持ちは複雑ですw
でも、今はコツコツと神社巡りを続けていきたいと思います。今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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