こちらの鶴田神社は、JR唐津線厳木駅の南西約2km、厳木多久有料道路の浪瀬ICからおよそ1.5kmほどのところにある浪瀬地区の集落の中央付近に鎮座されています。
公共交通機関はありません。徒歩ではそこそこ時間がかかるので、マイカーかタクシーでの参拝がおすすめです。
浪瀬ICを降り、県道32号伊万里畑川内厳木線を南に伊万里方面へと走ると、すぐ右手の小山に「山神社」があり、そこからさらに1kmほど進むと道路右側を流れる小川を挟んで小山の入り口に鳥居が見えてきます。
境内の入り口付近には五輪塔と呼ばれる墓があるのですが、そこには獅子城の城主となった松浦党の鶴田越前守前公が祀られており、鶴田公がこの鶴田神社の祭神となっています。

石段参道入口に立つ一の鳥居。

鳥居に掛かる「鶴田神社」の神額。
昭和3年1月建立の鳥居。

さらに石段参道が続く。

「傑山常英大禅定門」でしょうか、他にも墓標らしきものがあります。

こちらが鶴田越前守前公の墓です。


五輪塔の墓標。

境内遠景。

境内入口に立つ二の鳥居。

鳥居に掛かる「鶴田神社」神額。
昭和3年9月の建立でした。

瓦葺き入母屋造りの拝殿。
そして拝殿前の狛犬さんです。
阿形は玉を咥え、吽形は右前脚で玉を踏んでおり、ギョロリとした目と彫りの深い顔に体に比べ頭が異様に大きな迫力のある狛犬さんです。
昭和3年8月生まれの狛犬さんは、鬼塚村山田(唐津市山田)の石工谷口猪之助さんが制作された狛犬さんでした。

拝殿の中の様子。

創建の記
当鶴田神社は鶴田越前守源前公を祭神とする。公は天正四年六月二十八日逝去せられ年を経て明治八年没後三百年の遠忌祭をもって祭礼の起りとなったことが明記される。
拝殿内に掲げてある案内板より
即ち明治八年に当時東京在住の鶴田の後裔であった故元、元老院議官鶴田皓先生によって平戸町の鶴田奨氏を始め各地因縁ある鶴田一族を集められ献燈、幟旗等を寄進して厳粛荘厳なる三百年祭を挙げられこの時当区としては江口甚六、吉野彦左エ門、小松幸作、吉野七右エ門等の代表が尽力せることを記録として残されておる。…後略。

本殿。

宮地嶽神社ほか。

弘法大師。

御堂。
鶴田神社は、獅子城の城主だった鶴田越前守前公を祀った神社ということでしたが、獅子城はこの鶴田神社から200mほど西に行ったところから北へ、山間の道を600mほど登ったところにありました。
城址とはいいますが、お城だったという残存物はまったく見ることはできず、天守があったと思われる頂上に「獅子ヶ城跡」のモニュメントと石仏群があるだけで、ちょっと期待外れだったかな。機会があったら後日アップしたいと思います。
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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