こちらの大村神社は、JR筑肥線浜崎駅の東方およそ3kmの距離、佐賀県唐津市浜玉町五反田の町中に鎮座されます。
国道323号線の「玉島小学校入口」交差点から北へ入り、玉島川に架かる「めずらはし」を渡り300mほど行った突き当りの場所に位置します。
神仏習合の名残をとどめる境内には、二対の狛犬と灯篭狛犬が守護する入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。
祭神は、藤原氏排斥をすすめる時の権力者の橘諸兄に反発して反乱を起こした、世にいう「藤原広嗣の乱」で敗れた藤原広嗣朝臣です。
無怨寺が建立されてその霊を慰めたといわれ、その後は無怨寺大明神として崇敬をあつめていたが、明治の神仏分離によって大村神社と改称されたとあります。境内中央にの樹齢300年の神秘的なイチョウの木がとても印象的な神社です。
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境内入口の一の明神鳥居。
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「大村神社」の神額が掛かります。
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境内途中に建立されている二の鳥居。
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二の鳥居にも「大村神社」の神額が掛かります。
昭和15年3月生まれの狛犬さん。唐津型の狛犬さんではないように思えます。
狛犬灯篭。
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御祭神 藤原広嗣朝臣
由緒 藤原広嗣公は、聖武天皇(奈良時代)の天平十二年(七四〇)十月十五日逝去。御連枝八男のうち三柱を当地に祭る。公は、大職冠藤原鎌足の孫式部卿宇合の長子で、聖武天皇の母君と光明皇后は叔母にあたる。
一門の繁栄は類ないほどであったが、痘瘡の蔓延により衰退し、政務の中心は、唐から帰朝した、僧玄昉と吉備真備に移った。天平八年(七三六)公が大養寺の守に任ぜられると玄昉、真備の讒言により、太宰少貳として筑紫に退けられる。その後は万民を酷使と重税に苦しめる悪政が続けられていた。公はこれを上表し二奸を退けることを乞う。
二奸は「広嗣反乱す」とし、大野東人をして、討伐に向けた。公は、板櫃川(北九州市)に対陣するが「勅使ある」を聞き「朝に敵するに非ず、二奸を退けるを乞うのみ」として、海外に逃れんとするが、荒天のため大村の里に漂着し、斬せられた。公の死後、天災地変、悪疫が続き「広嗣の霊のなすところといわれ、玄昉を筑前の観世音寺に弔わしめるも、まもなく死去。ついで真備も筑紫守に左遷されるが、不祥事が続くため、肥前守に移された。
真備は天平勝宝四年(七五二)、当地に無怨寺を建立し、厚くその霊を慰めたといわれる。その後無怨寺大明神として崇敬をあつめていたが、明治の神仏分離により大村神社と改称した。
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御神木のイチョウ。
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樹齢300年。
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銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿。
昭和17年3月生まれの唐津型狛犬。
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なかなか神秘的な感じです。
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御堂。
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境内社の愛宕神社。「愛宕山」の神額が掛かります。
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本殿石祠。
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境内社。
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御神木のクスノキ。
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樹齢800年。
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神仏習合の名残りでしょうか。
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種子板碑(しゅじいたび)。
板碑とはいわゆる供養塔で、鎌倉時代から安土桃山時代にかけてつくられ、死者の追善や後世の安楽を願って全国各地で造立されたそうです。
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種子板碑の案内板。
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「無怨寺」の碑。
境内の由緒書きにあるように昔は無怨寺というお寺だったそうで、その後は「無怨寺大明神」となり明治の神仏分離によって大村神社になったようです。
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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