こちらの熊野神社はJR唐津線相知駅の西北西およそ1kmの距離、佐賀県唐津市相知町相知の街なかにある小丘陵の上に鎮座されております。
唐津市立相知中学校の東隣に位置しており、国道203号唐津市相知支所北の交差点を南に100m、突き当りの旧国道の相知支所前交差点を右折して100mほど進むと、左側の通学路の正面に一の鳥居が建立されています。
一の鳥居をくぐると唐津線の線路が参道を分断しており、境内へは線路を渡って小丘の上へと続いている石段参道を上がることになります。
線路を渡ると十二段の石段があり、その石段を上がるとさらに七~八十段の急な石段が続きます。石段の前には幟杭と、唐津型では珍しい“かまえ”と蹲踞の狛犬が奉納されており、境内に建立されている千鳥破風唐破風付き拝殿と流造の本殿を陶器製の狛犬が守護しています。
参道入口。相知町内を縦断する県道259号線沿いにあります。
こちらの熊野神社は、室町時代に波多壱岐守が紀伊国の熊野三山の神仏を勧請したと伝えられています。
波多氏というのは、平安時代から長きにわたり佐賀長崎両県北部一帯で名を馳せていた松浦党の一派なんですが、奇しくも先日参拝した「今福神社」を創建したのが、松浦党党祖の源久(みなもとのひさし)公というのもなんだか導かれたような不思議な気がします。
一の鳥居。
風化が激しいのですが「熊野神社」と刻まれているのが読み取れます。
参道はJR唐津線で分断されています。
参道階段。
おお、この階段もそこそこ息が切れちゃいそうな急階段みたいですw
そしてその参道階段前を護っている狛犬さんです。
阿形が蹲踞、吽形は“かまえ”の狛犬さん。この取り合わせというのは、唐津型の狛犬ではたいへん珍しいと思います。
「大正二年六月吉日」の刻銘が入ります。
参道階段を上り終えると境内です。
そしてそのすぐ横には1基だけ、吽形の狛犬が乗る飛び狛灯篭がありました。
「天保六乙未年十一月吉日」の刻銘が入ります。
逆立ちの飛び狛さん。
参道階段を上り終えてから、参道石畳の標通りにまっすぐに行った先には手水舎があります。
手水舎で手を浄めてから右向け右をすると二の明神鳥居と社殿が現れます。
二の鳥居にはハッキリ読み取れる「熊野神社」の神額が掛かります。
左の柱には「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」、右の柱には「国家興隆(こっかこうりゅう)」の刻銘がくっきりと刻まれていました。
なんだか難しい言葉だったので調べてみると、天壌無窮とは「天地とともに未来永劫いつまでも続くこと」とありました。「天壌」とは天と地を意味し、「無窮」とは永久という意味だそうです。
国家興隆は、日本国の勢いが盛んになって栄えることを願っているということなんですね。
銅板葺きの千鳥破風唐破風付き拝殿。
村 社 熊野神社 東松浦郡相知村大字相知
“佐賀県神社誌要”より引用
祭 神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 速玉男命
菊理媛命 衢神 鸕鷀草葺不合尊
享保四年十一月波多壱岐守の勧請なるも詳細なる記録の存するものなし、明治六年村社に列せらる。菊理媛命外二柱の祭神は合祀により追加せり。
大正二年十二月十二日神饌幣帛料供進指定
氏子数 四百三十戸
境内神社 八坂神社 祭神 素盞鳴尊 大己貴命 少彦名命
仝 柏山神社 祭神 句句廼馳命 大山祇命
山神社柏木神社を合祀の上柏山神社と改め境内に移轉せり
そして、拝殿を護る陶器で造られた狛犬さんたちです。
陶器の狛犬さんには初めてお目にかかりましたが、造立年代や奉納年は分かりませんでした。
神牛。
流造平入の本殿。
「熊野宮」の神額。先代の鳥居のものでしょうか。
「護国社」の明神鳥居。
「相知護国社」の石碑と神額。
切妻造り妻入りの向拝と流造平入の本殿が建立されています。
そして社殿を護る狛犬さん。
年代不詳。
御堂。
御神木。
最強寒波襲来により前日から積雪となりましたが、幸いタイヤチェーンは自宅から幹線道路に出るまでであとは必要ありませんでした。
まあ、こんな日まで神社巡りをするのですから、私もすっかりと神社に憑りつかれてしまったようですねw
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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