こちらの住吉神社は、唐津市肥前市民センターの北方およそ2.5kmの距離、唐津市立納所小学校からは南に800mほどの佐賀県唐津市肥前町納所東地区の町外れに鎮座されます。
県道317号納所入野線内木場バス停付近から緩やかな下り坂を南に進んで行くと、やがて道路右側に鎮守の森が現れます。
社頭には大型の狛犬灯籠が構え、なだらかに下る参道を進むと神池の中を一直線に参道が延び、さながら公園のような光景が広がります。神橋を渡り玉垣に囲まれた参道を進むと一の明神鳥居が建立され、境内入口には文久二年生まれの個性的な狛犬が迎えてくれます。
石垣が組まれ一段高くなった場所に入母屋造の開放的な拝殿と流造の本殿が建立され、明治十三年生まれの唐津型狛犬が守護しています。格子戸の開放的な拝殿であるにも関わらず、拝殿の中の床板は外の景色が映り込むほどきれいに磨き込まれており、日常の清掃が行き届いていることがよくわかります。
龜山天皇文永元年の創建、御祭神は住吉三神の底筒男神、中筒男神、表筒男神外十一柱です。

社頭。
参道入口の灯篭飛び狛。
右の石灯篭の狛犬さんの方は劣化が進み、もうほとんど生まれる前の形に戻りつつあります。

時おりウシガエルの声がする神池に伸びる参道には二つの神橋が架かり、一つ目の神橋の先に一の鳥居が掛かります。

参道途中に立つ一の明神鳥居。

鳥居に掛かるのは「住吉神社」の神額。
そして境内入口に待ち受けている狛犬さんです。
文久2年(1862年)建立の狛犬さんは、前肢と後肢の間は刳り抜かれていますが前肢の間は刳り抜かずに浅く掘られています。
肥前狛犬からはじめ狛犬、そして狛犬へと進化していった過程の作品なのでしょうか。

境内に立つ二の鳥居。

二の鳥居には「住吉大明神」の神額が掛かります。

手水舎。
そして拝殿前の唐津型の狛犬さんです。
明治13年(1880年)2月生まれの狛犬さん。石工さんの刻銘もあるのですが読み取ることができませんでした。
阿形の尾の部分にアマガエルさんが隠れていましたw

瓦葺き入母屋造りの拝殿。

四方が格子という開放的な拝殿。このような拝殿は風通しがよい反面とても汚れてしまうのですが、とてもきれいに清掃されておりました。
日ごろの氏子さんの手入れや管理が行き届いていることがよくわかります。
郷社 住吉神社 東松浦郡入野村大字納所
“佐賀県神社誌要”より引用
祭神 底筒男神 中筒男神 表筒男神 天穂日命 菅原道真
天神七代 大山祇神 伊弉冉命 猿田彦命 素盞嗚命
地神五代 天忍穂耳尊 市杵島姫命 伊弉諾命 加具土神
龜山天皇文永元年の創建にして、口碑に曰く、一老㛈あり、佐登婆々と云ふ、或夜夢に白髪の老翁来り枕頭に立ちて曰く、余は住吉大明神なり、今此海中にあり、早く来り揚けよと、夢覚めて怪しく感したるものの、深くは信せさりしに、後十二月二十日に至り、海藻を採集しつゝ、大納所と称する磯邊に至りしに、海中異光を放つものあるを見、怪みて探りしに一神鏡を得たり、是先の夢に現はれし神ならんと、我に畏懼して之を藻に包み、奉持して歸途に上がり、宮の岳と云ふ所に至るや、神鏡荐りに重りて進むこと能はす、依て其処に奉安し、祠を建てゝ祭れりと、然るに神威赫々として、人民非禮あれは、忽神罰を蒙る、一日舟其祠前を航して禮拝せさりけれは忽ち覆没せりと云ふ斯る事屢なりけれは、里人漸神威を畏れ尊信し来り祭祀を厳にし海上の安寧を祈るに至れりと。後地を西の川原に相し。社殿を建設して奉遷せり。佐登婆々の子孫は、愈栄えて敷家となり現存せり社格制定に當り村社となりしと、後昇格せり。祭神天神七代以下九柱の神は無各社合祀により追加せり。

本殿。

境内社の一の台輪鳥居。

鳥居に掛かるのは「祇園宮」の神額です。
左の柱には天明3年(1783年)2月建立の刻銘が入ります。

石段参道前に立つ二の鳥居。

二の鳥居に掛かるのは「大権現」の神額。
右の柱には延享元年(1744年)3月建立の刻銘が入る。

末社への石段参道。

末社。八坂神社ではないかと思われます。

拝殿前には沢山の石灯篭が立ち並んでいます。

境内右側にある明神鳥居。こちらも合祀された末社の鳥居かと思われます。

鳥居には「英彦山神社」の神額が掛かっていました。

境内右側の稲荷社。
さて、石造物の風化や劣化は時代の流れとともに進むのは仕方がないことですが、管理している人たちの気持ちや思いが伝わればそれはそれで少なからず美しいと感じるものです。
その点、こちらの住吉神社さんはしっかりと手入れや管理ができているのが感じられ、とても清々しい気持ちで参拝することができました。ありがとうございました。
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