櫛田宮 佐賀県神埼市神埼町神埼三丁目

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神埼市の神社

こちらの櫛田宮はJR長崎本線神埼駅の南南西およそ800mの距離、佐賀県神埼市神埼町神埼三丁目の街なかに鎮座されます。

国道34号線と県道48号佐賀外環状線が交差する協和町の交差点から東へ、250m先の四つ角を左折して300mほどの長崎街道沿いに位置します。

境内入口には順徳天皇御の自筆と伝わる神額が掛かる一の鳥居をはじめ、ひときわ存在感を示す二の肥前鳥居やご神木の“琴の楠”、さらには蔦が絡まり時の流れを感じさせる太鼓橋など沢山の見どころを備えたお社です。

境内には唐破風付き日吉造りの拝殿と権現造の本殿が建立されており、境内社の分も併せて4対の狛犬と2対の狛狐が奉納されています。

吉野ヶ里公園方面へ向かって走っている時でした。道路右手に立派な大鳥居が立っているのが目に留まり、急遽参拝させていただくことにしたのがこちらの櫛田宮です。

鳥居をくぐって境内に入ると見取り図があり、現在地を調べてみると「北参道」にあたるところでいわば裏口、近くにはお稲荷さんの赤い鳥居がたくさんあります。

ここはやはり順序良く参拝した方がいいと思い、まずは表参道まで行くことにしました。

こちらが表参道の一の台輪鳥居です。

一の鳥居に掛かる「櫛山櫛田宮」の神額は、鎌倉時代の第84代天皇である順徳天皇の自筆であると伝わっているそうです。

節分が終わって間もないせいか、巨大なお多福面のオブジェがまだ飾られていましたw

お多福面の下をくぐると早速狛犬さんが迎えてくれます。

長い垂れ耳で胴長の、ちょっとダックスフンドを思わせるな岩狛さんは明治39年(1906年)3月生まれでした。

お~っ、でました!立派な肥前鳥居です!!

貫の中央部分に補修の後は残りますが、本当に美しい状態でその姿が保たれております。

二の鳥居は慶長7年(1602年)建立の肥前鳥居ですが額束には神額が付いておりません。真ん中の貫の部分が新しく修復されているので、おそらく落下したとかで神額が破損してしまったのかもしれませんね。

御神木の「琴の楠」。

景行天皇が琴を埋めたところから芽が出て楠が育ったという伝説あり、息を止めたままこのクスノキを 7回半回れば琴の音が聞こえるという言い伝えもあるようです。

琴の池にある中の島には、弁財天と厳島神社が鎮座されております。

参道から中の島へと架かる神橋。

神池。約300坪の広さがあるこの池は、弁財天社が鎮座される島の形と池の形が、楽器の琵琶の形に似ていることから琴の池と名付けられたそうです。

参道に架かる太鼓橋の神橋。蔓(つた)植物にスッポリと覆われていて、これを見ただけでも威厳を感じさせてくれますよね♪

神門。これもまた立派なものです!

審問の両脇の格子の奥には随神の像が置かれていました。

鎮座地 佐賀県神埼市神埼町神埼419-1

御祭神 櫛田三柱大神(櫛稲田姫命・正面御座、櫛田大明神、須佐之男命・東 御座、 高志大明
    神、日本武命・西 御座、 白角折大明神)
境内社 櫛森稲荷神社、櫛丸稲荷神社、祇園社、弁財天・厳島神社、天満宮、宗像社

由 緒 
    大昔当地方に荒神があって人を害したが、景行天皇が櫛田宮を創建されてから人民は
    幸福になったので神幸郡と名づけた。
    今から1900年前のことである。鎌倉時代弘安4年蒙古襲来の時、本宮の神剣を博多串
    田神社に奉遷して異賊退散を祈り、霊験あらたかなものがあったので厄よけ開運の神
    と崇敬されるようになった。 
    櫛田大明神縁起に、万民を利益しましますこと凡智の測量する所にあらずと記してあ
    る。
    朝廷武将歴代藩主をはじめ一般の敬信あつい九州大社と称せられ神領も多かった。
    境内にオロチ退治の酒甕、琴の楠、琴の池、順徳天皇勅額、石鳥居、櫛森櫛丸稲荷神
    社、祇園社、弁財天社、庚申石祠、忠魂碑、昭和天皇碑、そうめん碑等がある。隔年
    の春祭はみゆきと称し御神幸があって賑わう。

境内の由緒書きより

手水舎。

社殿。

拝殿に掛かる順徳天皇勅額と言われる「櫛山櫛田宮」の神額。

拝殿内の様子。

拝殿前の狛犬さんはまだ新しい狛犬さんでした。先代の狛犬さんはお役目を果たされて引退されたのでしょうか。

新しい狛犬さんは吽形が仔狛を抑えており、阿形は玉を持っています。

透かし塀に覆われた権現造の本殿。天明6年(1786年)に、佐賀藩主鍋島治茂公により再建されたものと伝えられていて、交差剣の社紋や鍋島家の杏葉の家紋が神社の中の方々で見られます。

その本殿の横で一対の狛犬さんが睨みを利かせていました。

おそらくこちらが長年拝殿前を護ってきた先代さんなのでしょうね。何はともあれ、まだまだ現役でおられたのは嬉しいことです。

祇園社。

祇園社の中の様子とご由緒書き。

土俵。おそらくこちらで奉納相撲が行われているのでしょうね。

北参道側の御由緒書き。

そしてこちらが北参道から入って、すぐに迎えてくれたおびただしい数の鳥居です。

「正一位稲荷大明神」の神額が掛かる一の台輪鳥居。

二の台輪鳥居と神橋。

三の鳥居、そして四の鳥居。その他にも参道にはたくさんの奉納鳥居が立ち並んでいます。

「櫛森稲荷大明神」の社殿。

拝殿前には岩狛さんが1対護っていらっしゃいました。

建立年代は分かりませんでしたが、石工名はかろうじて「平川□三□」と読めそうです。

こちらは「櫛丸稲荷大明神」。

そしてそこを護るのは阿吽のお狐様。

お狐様の顔の部分の劣化が酷く、表情がわからずに最初は狛犬かと思ったぐらいです。

文政2年(1819年)9月生まれのお狐さんのようです。

拝殿。

本殿。

「博多祇園山笠」で有名な櫛田神社。お櫛田さんと呼ばれて博多では知らない人がいない博多の総鎮守ですが、その博多櫛田神社の元宮だといわれているのがこちらの櫛田宮ということでした。

思いもよらず立ち寄ったのがすごい神社だったし、そして肥前鳥居にも巡り合えました。

これで肥前狛犬がいたら万々歳だったのですが、それは欲張りすぎですよねw

では、またいい出会いがありますように!!

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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