大天満神社 肥前狛犬 佐賀県小城市芦刈町芦溝小路

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小城市の神社

小城市牛津町との町境ちかくにあり、国道207号線沿いにある「ホームプラザナフコ牛津店」付近から左折し南に700メートルほど、佐賀県小城市芦刈町芦溝宇小路地区に鎮座されております。

境内入口には二の鳥居が立ち、そのすぐ右側には小路公民館があります。そしてそこから南へ200メートルほど離れたところ、両側を田んぼに挟まれた真っすぐに伸びる参道の先に一の鳥居が立っていました。

周囲は何もない平野なので、鎮守の森らしきものを見つけてから進むとすぐに見つかるはずです。

こちらが一の鳥居。そして真っ直ぐに伸びる参道。その先には鎮守の森が見えます。

一の鳥居に掛かる「大天満神社」の神額。

参道。

二の鳥居は寛永5年(1628年)建立の肥前鳥居で、小城市の指定重要文化財となっております。

二の鳥居には「天満宮」の神額が掛かります。

切妻造本瓦葺の「隋神門」。扉は欠失してますが門の両側に造り出しがあります。小城市の広報では、「江戸時代中期の建立であろうと推定されている」としています。

案内板と社号漂。案内板の文字が消えかかってましたが、一の鳥居の横の方に新しい案内板が設置されていました。

鎮座地 佐賀県小城市芦刈町芦溝

御由緒 天満宮の祭神は、「菅原道真公」で、筑前太宰府天満宮の御分霊であり、創建は建暦・建保(一二一一~一二一八年)の頃と言われており、芦刈町では一番古い神社である。
 その後、関東から下向した千葉氏をはじめ、鴨打、徳島、持永、南里、神代氏の歴代藩主が崇敬していた。
 現在芦刈町内各部落に祭祀してある天満宮は、当社をさらに分霊鎮坐したもので、当社を大天神、部落のものを小天神とも言い伝えられている。
 明治六年(一八七三ねん)村社に列し、その後明治四十年(一九〇七年)から終戦に至るまで、勅令により、県知事から祈年祭・新嘗祭・例祭に神饌幣帛料が供進された。
 なお当社にある「石造肥前鳥居」は、佐賀県ならびに福岡県と長崎県の一部に分布する地方色豊かな特色ある鳥居の様式であり、小城市芦刈町では唯一のものである。境内にある彫物を施した「四脚門」とともに、小城市重要文化財となっている。

一の鳥居横の案内板より

四脚門の隋神門。四脚門(よつあしもん、しきゃくもん)とは、日本の門の建築様式のひとつで門柱の前後に控柱(ひかえばしら)が2本ずつあり、門柱と控柱を合わせると柱が合計6本になります。

境内の様子。まだ開花して間もないようですが、紅梅と白梅が揃って咲いていました。癒されます♪

手水舎。

そして拝殿前で最初に迎えてくれたのが一対の肥前狛犬ちゃんでした。

と思ったのですが、これは“はじめ狛犬”と呼ばれている後期型の肥前狛犬ではないかと思われます。

50センチほどの大型の肥前狛犬さんでしたが、見たところ阿吽の位置が逆になっているように思われます。

前脚の部分がしっかり彫られているのではじめ狛犬が濃厚かと思われますが、右側の吽形の前脚が欠けて無くなっていました。

阿吽どちらも、撫でつけたような鬣の模様が施されています。

入母屋造りで唐破風の向拝の拝殿。

そして岩狛さん。

筋肉質の狛犬さんが多い中、こちらの狛犬さんはどちらかというと普通の体型で、躰に比べて頭が大きくまさにライオンそのものといった狛犬さんです。

明治27年(1894年)生まれの狛犬さんでした。

向拝下の細工。

拝殿の中の様子。

銅板葺き流造の本殿。

末社。

石祠群。

石祠群。

今回の大天満神社は、由来を読んでもわかるように、いわば近隣地区の天満宮の総元締めみたいなものなのでしょうね。

なにはともあれ、肥前鳥居と肥前狛犬の両方を一度に見ることができてよかったです。また、素敵な出会いがありますように!

それでは、今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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