宇佐神社 佐賀県小城市三日月町道辺

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小城市の神社

こちらの宇佐神社はJR唐津線小城駅の東南東に3kmほどの距離、佐賀県小城市三日月町道辺地区集落の北の外れ、芦田地区との区境に鎮座されます。

国道203号線の「大寺橋」交差点から、佐賀市大和町へと抜ける県道212号川上牛津線を北上し、「三日月小学校東」の信号の先の三差路を右、祇園川に架かる三ヶ島橋を渡ったらすぐの道路右側に位置しています。

参道入口は南側に広がる集落側になり、一の鳥居をくぐると境内へと向かう白砂の参道の左側に神池があり、二の鳥居をくぐった先の境内に砥川型の岩乗り狛犬が守護する、唐破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。

こちらの神社を一見して感じたのは、境内の清掃が行き届いていることでした。町中にあるせいなのかもしれませんが、参道周りがホントにとっても綺麗なんです。氏子の方々の日々の管理の賜物でしょうね。

御祭神は応神天皇、大山咋命、管原道真の三柱。由緒によると、大分県の宇佐神宮の代わりに分霊を合祀して建立されたとありました。

一の明神鳥居の向こうに拝殿まで一直線の参道が続いております。

宇佐神社の神額。

参道の様子。枯れ葉一枚も残っていないほどきれいに清掃されていました。

参道の左側には神池があります。

神池の中の島には石祠が祀られていました。

二の台輪鳥居。

鳥居に掛かるのは「宇佐宮」の神額。

宇佐神社 由緒

 大同2年(802)7月、西海道観察使が九州巡視の際、甕調(みかつき)郷において病気になり、筑前宇美八幡宮へ病気平癒の祈願をしたところ、たちまちのうちに回復したので大柳に宇美八幡宮を勧請したのが最初といわれる。
 治承元年(1177)に、当時絶大な権力を奮っていた平清盛の打倒を謀った丹波少将藤原成経、判官平康頼、僧俊寛が鬼界ヶ島に流罪になった時、宇佐八幡宮へ帰れるようにと祈願したが、後の大赦により罪を許されたのは俊寛以外であったため、哀れに思った藤原成経ら二名は密かに俊寛を肥前国鹿瀬ノ庄法勝寺に移した。俊寛は、豊前国宇佐八幡宮が遠い場所にあることから治承3年(1179)正月に宇佐八幡宮の代わりとしてこの道辺に社殿を建立したと云われる。
 慶長8年(1603)8月に龍造寺隆信の内室宗誾尼が再建、そして寛永14年(1637)初代小城藩主鍋島紀伊守元茂は、洪水の心配があったために現在の地へ移築した。寛文9年(1669)には二代藩主鍋島加賀守直能が修理し、元禄14年(1701)には三代藩主紀伊守元武が拝殿を改築、寛延3年(1750)六代藩主紀伊守直員、文化7年(1810)九代藩主紀伊守直堯と、小城鍋島藩歴代の藩主が修理や改築をおこなっていた。
 その後、明治6年(1873)4月には三日月村社に定められ、戦時下においては戦勝祈願などがおこなわれた。
 現在は静かな佇まいのもと、ここ道辺地区の人たちにより大切に守られている。

由緒書きによると、福岡県の宇美八幡宮を大柳(現在どこにあたるのかは分かりませんでした)に勧請したのが最初で、その後治承3年に大分県の宇佐神宮の分霊を合祀したとあります。

銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿。

そして拝殿前の岩乗り狛犬さんです。

昭和7年生まれの岩狛さんは頭でっかちの幼児体型の狛犬さんですが、ガッシリとした造りで風格を感じます。

綺麗に立砂が盛られていました。

唐破風向拝の下の部分には「鶴」が彫ってあります。

「龍」の彫刻が施された拝殿。

獏(バク)と獅子が左右に睨みを利かせています。

大黒天。

ご神木。とにかく境内が美しい!

銅板葺き流造の本殿。

辨財天や馬頭観世音などの祠が祀られていました。

さて、こちらの宇佐神社を参拝させていただきましたが、文中にも何度も書いたようにとても綺麗に管理されていて、地域の皆さんに愛されている神社なのだとつくづく感じた次第です。

どうかこれからも大切に守っていっていただきたいですね♪


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