こちらの熊野山大権現は、JR長崎本線牛津駅の西南西およそ2.5kmの距離、佐賀県小城市牛津町上砥川谷地区に鎮座されます。
国道207号線「砥川小学校前」の信号から西、小城市立砥川小学校の校庭の横を北に抜けると、多久市との境に立つ標高269mの大平山の山裾に集落が広がっており、その集落の東の外れの小丘の上に位置しています。
石段参道前には、思わず美しいという言葉が出てしまいそうな、均整のとれた素晴らしい肥前鳥居が立っており、その左の建屋内には元禄四年(1692年)の刻銘がある、肥前石工の名工平川与四右衛門製作の石造布袋像が安置されています。
山道を上った先にはブロックで補強された小丘があり、その上に本殿石祠が祭祀されています。以前は石段わきに肥前狛犬が安置されていたようですが、現在ではその姿を見ることができません。寛永十四年の島原の乱のころに創建、御祭神は熊野三神と思われます。
石段参道の前に立つ肥前鳥居。
肥前鳥居に掛かる神額には「熊野大権現」とあります。
柱には多くの銘文が刻まれており、左の柱には「寛永十六己卯九月廿日」、右の柱には「日本第一大霊験所根本 熊野三山権現 御寶前」の刻銘が入ります。
石段参道脇に設置してある案内板。
熊野山大権現
熊野山大権現は、寛永年間(一六二四~一六四四)に後藤遊仙によって開山された。
権現山一帯は当時多久家の領地であった。寛永一四(一六三七)年の島原の乱のおり、乱鎮圧のために多久茂辰が出陣した際に、茂辰が遊仙に武運長久を祈願させ、権現山の中腹に熊野権現を勧請したのがはじまりである。
遊仙は石蔵坊をなのり、愛宕神社、谷彦山権現を開いている。現在は、石祠、護摩堂、鳥居、石坂が残っている。護摩堂の前には元禄四(一六九一)年に平川与四右衛が製作した市重要文化財の石像布袋像がある。
砥川石工平川与四右衛門製作の石造布袋像。
平成10年3月31日に牛津町重要文化財に指定されています。
石造布袋像の左側に並ぶ石仏や石祠群。おそらくすべてが砥川石工の作品だと思われます。
石段参道前に立つ肥前鳥居右側にある建屋に安置されている石仏。
石段参道を上がった先の参道には沢山の落ち葉が積り、そこを歩いて登って行くとまるでフカフカの絨毯の上を歩いているかのような気持ちになります。
参道脇にも石仏が並び、ここでも石仏群が見守ってくれています。
開けた場所に行き着くと稲荷社の石祠と石仏がありました。
十一面観音菩薩様なのでしょうか…
左側には境内へと続く参道が…
境内。
本殿。本殿に上がる石段に舞い落ちた桜の花びらに、じつに季節感を感じますねw
立派な石祠の本殿。
境内の周りには沢山の石仏が安置されておりました。本殿をしっかりお護りしているようです。
こうした山の中に鎮座される神社への参拝はだんだん暑くなってくると大変になって来ますが、桜吹雪の季節での参拝はなかなか気持ちがいいものです。
だけど、そろそろアレが出そうで最近はビクビクしながら参拝の旅を続けています。
アレでは分かりませんか?
爬虫類のニョロニョロしたやつですw
齢をとっても、これだけはどうしても好きになれませんねw
それでは、今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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