こちらの神六鎮守神社は西九州自動車道武雄南ICの西およそ3kmの距離、佐賀県武雄市西川登町大字神六地区に鎮座されます。
矢筈ダムの1.2km東、県道102号塩田波佐見線沿いの神六山の裾野を背にしており、道路沿いに建立された一の鳥居から伸びた50mほどの参道の先に二の鳥居、境内の左右に生えた銀杏の巨木が社殿を囲むように鎮守の森を形成しています。
境内奥には大正生まれの塩田型狛犬が守護する入母屋造りの拝殿と、同じく大正生まれの狛犬が守護する石造りの本殿が建立されています。祭神は息長足姫命(神功皇后)と、聖武天皇の従兄弟にあたる藤原広嗣の二柱です。
拝殿幕には“抱き銀杏”の紋が入っており、それを見て境内のイチョウの巨木が植えられていたワケを改めて感じ取ることができました。
案内板によると、拝殿の中に肥前狛犬が安置されているようですが、残念ながらしっかりと施錠してあり入ることができず会えなかったのは残念です。
神社遠景。田圃の真ん中を綺麗に整備された参道が続いています。
道路沿いに建立されている一の台輪鳥居。その前には幟杭と石灯篭も奉納されています。
鳥居には「鎮守大明神」の神額が掛かります。
石垣の上に造られた境内を、大きな銀杏の木がすっぽりと囲んで鎮守の森を形成しています。
きっと秋になると境内一帯が美しい黄金色に輝くことでしょう。
境内入口に奉納された二の台輪鳥居。
こちらにも「鎮守大明神」の神額が掛かります。
瓦葺き入母屋造りの拝殿。棟瓦には“抱き銀杏”の家紋が入ります。
大正十二年四月吉日造立の塩田型狛犬ですが、石が脆かったのか阿形の顎が欠落しているのが残念です。
拝殿の中の様子。拝殿幕にも“抱き銀杏”の家紋が入ります。
鎮守神社ノ由来
拝殿内の案内板より
當鎮守神社ノ創立ハ後陽成帝ノ御宇天正十五年斯波氏ノ家族前田備後ノ守管原利勝ノ三男前田備後ノ守利清織田右大臣平信長公ニ奉祀後従卒十余人ト肥前ノ国唐津ニ浪遊シ信長公ノ汗忌ヲ被り山又谷ヲ渉り身ヲ潜メ矢筈村ニ至リ山村昼幽カニシテ熟々世ノ盛衰ヲ観ジ執弓無為意ヲ感ジ修験道にニ入リ法名勇誉ト称シ其弓箭ヲ修メ矢筈大明神ト号シ地名ヲ矢筈村ト呼バシム又下二十余町ノ所ニ平野アリ土地肥ヘテ勝地アルヲ探リ神六村ト名ヅケ鎮守大明神ト号シ唐津鏡大明神ノ御神体ヲ分チテ勧請シ神殿ヲ新築シ茲ニ住スナリ元禄九年十一月吉日朝日村ノ仏師覚良信ト云フ人ガ三体ノ仏像ヲ調整シ御神体ト崇メ西方百間ノ処ニ椿枝ヲ挿シ置キタルモノニテ之ヲ記念樹ト云フ今ニ其ノ椿ハ発芽シツツアリ昭和九年三百五十三年トアル前田利清ノ末孫前田家右ェ門前田清兵ェ前田庄助前田勘右ェ門前田庄三郎歴代神職トシテ奉仕セリ
大正十三年六月に奉納された丸い台座に乗った牡丹と狛犬。
石造りの本殿。木鼻には飛び出すような狛犬の彫刻が施されています。
こちらの塩田型の狛犬の台座には「大正十二年二月」の刻銘が入ります。
御神木のイチョウの木。
こちらにも肥前狛犬が安置されているようですが、残念ながら拝殿はしっかりと施錠してあり入ることはできませんでした。
盗難防止なので仕方がありませんが、ちょっと残念でした。
今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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