こちらの高野神社はJR唐津線中多久駅の南東およそ1.7kmの距離、佐賀県多久市南多久町大字下多久西ノ谷地区の集落の中央、集落を南北に割って西から東へと流れる牛津川の北側に鎮座されます。
県道25号多久若木線の「南部小学校前」交差点を北へ200m、牛津川に架かる朱色に塗られた90mほどの長さの神橋を渡った先に位置します。
参道入口から境内までに3基の鳥居が建立されておりますが、境内に上がる石段参道前の三の鳥居は、多久市内でも最古の肥前鳥居ということでその存在感には圧倒されます。
境内に建立されている入母屋造りの拝殿と流造の本殿を、大正生まれの塩田型の狛犬が守護しています。御祭神は罔象女神と暗雄霊神の二柱、建久2年(1191年)創建の古社です。
この地は、神社の前を流れる牛津川によりたびたび氾濫に悩まされていたそうで、平成6年に護岸工事の際にどうしても御神木を伐採せざるを得なくなったそうです。境内入口にはその際に伐採された御神木を祀る楠大明神が建立されています。
さて、画像を見ると天気も良くてポカポカ陽気に見えますが、この日はかなり寒さが厳しい一日でした。
こちらが参道になります。朱色に塗られた神橋が牛津川に掛かっており、何となく立派な神社の雰囲気が漂ってきます。
神橋を渡り終えたところにある一の明神鳥居。そして「高野神社」の神額。
その次にある二の鳥居は後期に製作されたものでしょう、肥前鳥居の三本継ぎの特徴を残しています。
風化して落下したのか、額束はありますが神額はありません。
そして境内へ上がる石段の前に建立されている三の肥前鳥居です。
こちらは元和9年(1623年)に建立された肥前鳥居で、市内最古のものであるということで多久市の重要文化財となっています。
肥前鳥居に掛かるのは「高野大明神」の神額です。
多久市教育委員会の重要文化財指定書き。
石碑や記念碑。
左は天神、地神、水神、龍神、火神。右は六地蔵で、右側の方は鎮西八郎為朝が矢の根を射込めたと伝えられる六地蔵です。
「楠大明神」。
この地域はたびたび牛津川の氾濫に悩まされてきたそうで、護岸工事のためにやむを得ずご神木を伐採した平成6年に建立されたそうです。
石碑。
神門。
入母屋造りの拝殿。
大正10年生まれの塩田型の狛犬さんで、石工さんは西野鶴松さん。
やや上向き加減の狛犬さんですが、阿形の方はまるで遠吠えしているかのようですねw
神馬や米俵。
由来沿革
境内の案内板より
多久市南多久町大字下多久 高野神社
御祭神 罔象女神、暗雄霊神
創建 一一九一年 後鳥羽天皇 建久二年
由緒概要
摂州(大阪)難波多久邑の住人多久太郎宗直源頼朝公に従い勲功により多久の荘を賜る建久二年下向の初め平素信仰厚き紀州(和歌山県)丹生大明神を勧請しこの地を相して殿宇を建立した以来星霜を経ること久しく堂宇類焼せしを以て一五六〇年正親町天皇永禄三年太宰少弐資元之を再興す
正親町天皇天正二年兵災に罹りしを以て一五八〇年天正八年正月多久邑主龍造寺長信修築し邑中の宗廟とした一八六五年孝明天皇慶応元年正月二日再び火災に罹りしを以て一八七五年明治八年五月氏子達により再建した明治十年三月二十九日郷社に昇格せり一九九三年平成五年十二月氏子により改築し現在に至る
手水舎。
御堂。
境内の様子。
流造の本殿。
末社。
境内に配置された石祠群。
ご神木。
社務所。
「忠魂碑」。
以上、なかなか見ごたえのある古社でした。
いつも思うことですが、肥前鳥居を造った佐賀県や長崎県の石工さんのセンスや技術は本当に見事で、じつに目を見張るものがあります。
自分が造ったわけでもないのに、胸を張って自慢したくなるのも面白いものですw
では、今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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