古くからあるお社の参道が、国道や高速道路の建造によって分断されているという状況が結構見受けられます。
これも時代の流れと言えばそうなのかもしれませんが、人間が暮らしやすい環境を作ることでこうした貴重な文化財が窮屈な思いをしているというのも忘れてはならないなと感じます。
恥ずかしながら、この年になるまでそんなことを思ったこともなかったのに、神社巡りをするようになったおかげなのか、いつしかそんな立派なことを言うような人間になってしまいましたw
小城市の「織島神社」も高速道路の建造によって高架の下に参道が通っており、高速で行きかう車の走行音で神社の静寂が脅かされていましたね。
さて、今日初詣に来させていただいたこちらの「中尾神社」もその一つで、参道が国道203号線でプッツリ切られている神社です。

国道のすぐ脇にある肥前鳥居。
じつはこちらは二の鳥居で、一の鳥居は国道を挟んだ反対側にあるのです。

こちらが一の鳥居で、参道のずっと先に先ほどの一の鳥居が見えます。

一の鳥居は明神鳥居です。

神額には「八坂神社」と刻んでありました。
あとで上げる由緒書きに、京都の八坂神社を勧請したとあります。

こちらが先ほどの一の肥前鳥居の神額。こちらも「八坂神社」とありました。

こちらが拝殿。そして私が大好きな狛犬さんw
大正9年生まれの狛犬さんで、石工は西野鶴松さん。
ちょっと斜め上を向いて、阿の方はなんだか遠吠えでもしているかのように見えますよねw

拝殿の中の様子。

本殿。

手水舎。

多久邑主長門守茂矩公の時代北多久村番所より東多久村別府の間深林荒野にして通路困難時に兇賊の出没ありしを以て宿の必要を感じ正保3年(1646)12月木立原野を伐り拓きて宿を作り尚其の氏神として京都八坂神社の分霊を此処に勧請せり
境内由緒書きより
素盞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られております。

境内の右側にある境内社や末社、石碑群。
左に天照太神宮と天満宮。右は大黒天。
石仏。
石仏。

そして御堂。
お正月ということもあるのでしょうが、とてもきれいに保たれている神社でした。
きっと地元の皆さんの日ごろのまめな清掃作業によるものが大きいのかと思われます。
今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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