こちらの熊野神社はJR佐世保線高橋駅の東南東およそ2kmほどの距離、佐賀県武雄市北方町芦原医王寺の南の外れ勇猛山の山裾に鎮座されます。
国道34号線下潟交差点を南、県道214号白石大町線を直進し白石町下蓑具交差点を西、県道36号武雄福富線の4km先の三差路を左折し長崎街道へ入ります。
そこから50mほどのところから左折すると右側に鳥居が立っており、鳥居の横を勇猛山の方に向かってひたすら2kmほど進んだ山の中に位置しております。
山道の途中からは苔の生した石段参道と坂道が伸びており、上りついた境内には明治生まれの塩田型狛犬が守護する入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。主神は伊弉諾尊、速玉男命、事解男命の三柱で相殿神として大山祇命外六柱を祭祀する。
参道入口に立つ台輪鳥居。「明治二十四年四月吉日」の刻銘が入ります。
「熊野神社」の神額が掛かります。
石段参道入口。社殿が見えないほどの長い石段が続きます。
社殿が現れました。
振り返るとこんな感じです。
下の境内に到着しました。この石段参道を上がればいよいよ社殿です。
村社 熊野神社 杵島郡橋下村大字芦原
“佐賀県神社誌要”より引用
祭神 伊弉諾尊 速玉男命 事解男命
大山祇命 菅原道真 保食神 市杵島姫神 建御名方神 多岐理姫神 多岐津姫神
高倉院の御字、養和元年秋、小松重盛兼ねて信仰の唐土育王山に似たる名山なりとて、紀井國熊野権現を分祭し、當山と當村とを社領とし、末社小社に至るまで美々敷飾立て、中宮新宮等を建立して、社家寺院馬場の左右に軒を連ね、東南の山を日月両輪に像り、又金子一千両と太刀一振りとを奉納し、繫華の社なりしが、平家没落の後、漸々衰微して社家寺院等も次第に減し、しかのみならす元亀年中兵燹にかゝり、残らず燼灰となれり、然るを慶長十二年領主多久長門守安順、往古の大社空しく廃頽せる事を嘆き、社殿を再建して祈願所とせり、夫れより累代領主の崇敬厚く、社殿の改築祭費の寄進絶ゆる事なく、以って明治維新に及へり、明治八年村社に列せらる、祭神大山祇命外六柱は無格社合祀に依り追加す。
下の境内にある手水舎。
入母屋造りの拝殿。
そして拝殿前の狛犬さんです。
明治32年9月生まれの塩田型狛犬さんでした。
銅板葺き流造の本殿。
「大神宮」。
中央の石塔には「小嶽明神」とあります。
末社。
「諏訪神」。
御堂。
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