熊野神社 佐賀県武雄市北方町芦原医王寺

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武雄市の神社

こちらの熊野神社はJR佐世保線高橋駅の東南東およそ2kmの距離、佐賀県武雄市北方町芦原医王寺の南の外れ、白石町と隣接する勇猛山(いみょうやま)の西の山中に鎮座されます。

県道36号武雄福富線と旧長崎街道が交差する地点に医王寺公民館があり、そこから南に少し入ったところに建立された鳥居の横から山の方に向かい2kmほど進んだ山中に位置しております。

山道を登り進めると、やがて苔の生した石段参道と下の境内が姿を現します。落ち葉と埋め尽くされた下の境内に降り立つと、聞こえるのは自分たちの息遣いと時折上から落ちてくる木の実の音だけで、まるで違う世界に入り込んでしまったかのような錯覚に陥ります。

上の境内には、明治生まれの塩田型狛犬が守護する入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されており、創建は養和元年(1051)と古く、主神は伊弉諾尊、速玉男命、事解男命の三柱。大山祇命外六柱が相殿神として祀られます。

参道入口に立つ台輪鳥居。「明治二十四年四月吉日」の刻銘が入ります。

「熊野神社」の神額が掛かります。

石段参道入口。社殿が見えないほどの長い石段が続きます。

社殿が現れました。

振り返るとこんな感じです。

下の境内に到着しました。この石段参道を上がればいよいよ社殿です。

村社 熊野神社 杵島郡橋下村大字芦原
祭神 伊弉諾尊 速玉男命 事解男命
   大山祇命 菅原道真 保食神 市杵島姫神 建御名方神 多岐理姫神 多岐津姫神
 高倉院の御字、養和元年秋、小松重盛兼ねて信仰の唐土育王山に似たる名山なりとて、紀井國熊野権現を分祭し、當山と當村とを社領とし、末社小社に至るまで美々敷飾立て、中宮新宮等を建立して、社家寺院馬場の左右に軒を連ね、東南の山を日月両輪に像り、又金子一千両と太刀一振りとを奉納し、繫華の社なりしが、平家没落の後、漸々衰微して社家寺院等も次第に減し、しかのみならす元亀年中兵燹にかゝり、残らず燼灰となれり、然るを慶長十二年領主多久長門守安順、往古の大社空しく廃頽せる事を嘆き、社殿を再建して祈願所とせり、夫れより累代領主の崇敬厚く、社殿の改築祭費の寄進絶ゆる事なく、以って明治維新に及へり、明治八年村社に列せらる、祭神大山祇命外六柱は無格社合祀に依り追加す。

“佐賀県神社誌要”より引用

下の境内にある手水舎。

入母屋造りの拝殿。

そして拝殿前の狛犬さんです。

明治32年9月生まれの塩田型狛犬さんでした。

銅板葺き流造の本殿。

「大神宮」。

中央の石塔には「小嶽明神」とあります。

末社。

「諏訪神」。

御堂。

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