西中野天満宮 佐賀県佐賀市兵庫町大字藤木字西中野

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佐賀市の神社

こちらの西中野天満宮は、JR長崎本線佐賀駅の東北東に1.6kmほどの距離、佐賀県佐賀市兵庫北七丁目に鎮座。佐賀清和高等学校の南東、県道333号線の西側に広がる西中野地区の集落北側に位置します。

神社全体が公園のようにきれいに整備されており、掘割に架かる神橋を渡り神門をくぐった先の境内には、小ぢんまりとした入母屋造の拝殿と流造の本殿が再建されており、三基の石灯籠とヤンチャ顔の砥川型岩乗り狛犬が守護しています。

案内によると、永禄六年に龍造寺隆信が大友宗麟との戦い前に先勝祈願を行い、その戦に勝利したことから社殿が造営されたと伝えられ、その後も勝利が続いたことから鍋島直茂公など代々の藩主らも永らく祭ったとされます。

神社遠景。きれいに整備されており、まるで公園のような風景の社頭です。

参道の途中に建立された台輪鳥居。

鳥居に掛かる「天満宮」の神額。

参道入口のすぐ左側に設置されている手水舎。

参道入口東側に建立されている天照太神宮の石碑と石灯籠と手水鉢。

境内入口のお濠に架かる神橋。

神橋前に設置された案内板。

西中野天満神社(大字藤木字西中野鎮座)(兵庫北七丁目八番二十一号)現在
祭神 菅原道真を祀る、文武両道の神、五穀豊穣の神として祀られてきた。
由緒 昔は一町歩ぐらいの境内で、四方が大堀で囲まれていた。その中に中野・下村両家の屋敷または出城であったとも伝えられ、祟廟天満宮跡の石の祠があった。
 永禄六年(一、五六三)領主龍造寺隆信は、豊後勢(大友宗麟)との戦いのとき、この神社に武運を祈願し出陣し、大勝利を収めた隆信は、ここに社殿を造営したと伝えられる。
 その後の戦いでも当社に戦勝祈願し勝利を収めたため、代々佐賀藩主、龍造寺隆信、鍋島直茂は祭りの費用や社殿の造営は藩で賄った。

境内入口に建立された神門。

神門下の様子。

再建された入母屋造の拝殿。拝殿前には三基の石灯籠と狛犬が奉納されています。

一見してそれと分かる砥川型の岩乗り狛犬です。

左の台座に「慶應二丙寅二月吉日」、右の台座には「多布施町 石工 儀七」の刻銘が入ります。

拝殿の中の様子。

拝殿の中に入らせていただくことはできませんでしたが、左右には随身様が安置され、正面の本殿前には梅鉢紋の紋幕が掛かり、その奥には重厚な格子戸が見えます。

再建された流造の本殿。

境内南側に祭祀された石祠群。

境内北側に祭祀されている石祠等。

その前に安置されている一体だけの肥前狛犬。

本殿の横に年季の入った石灯籠が一基だけ安置されています。

御神木。奥に見えるのは西中野公民館。

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