巨勢神社 佐賀県佐賀市巨勢町牛島

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佐賀市の神社

この神社は佐賀県佐賀市巨勢町、国道264号線長崎街道の牛島宿交差点の北、県道333号佐賀環状東線の50メートルほどのところの道路左側に鎮座されています。

こちらの巨勢神社も参道が道路によって分断された神社の一つで、一の鳥居は県道333号線を挟んだ反対側にあり、路地の突き当たりを右に曲がった「ローソン佐賀巨勢店」の裏側付近にあります。

こちらが一の鳥居。

「巨勢神社」の神額が掛かります。

一の鳥居からかぎ型に左に曲がると、社殿までの参道が真っすぐに伸びております。

二の鳥居は肥前鳥居です。

貫の部分は石材が薄いためか、経年劣化が進んでいる鳥居が多いようですね。こちらも貫の部分は新建材で補修されています。

「巨勢大明神」の神額が掛かります。

神門。

鎮座地 佐賀県佐賀市巨勢町大字牛島四一番地

主祭神 巨勢大連(こせおおむらじ)

相殿神 老松大明神(おいまつだいみょうじん) 淀姫(よどひめ)神 乙姫(おとひめ)神

合祀神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 応神天皇 天照皇大神 大己貴神(おおなむち
    のかみ) 伊弉那岐尊(いざなぎのみこと) 仁徳天皇 菅原道真

由 緒
 明治四年十一月 郷社列格
  創立は明らかではないが、孝徳天皇の御代(六四五~六五四)に壱岐・対馬に侵攻して
 きた異族退治の勅命をうけて下向し、これを平定した巨勢大連が守護としてこの地にと
 どまり、荒野を開き良田となし、巨勢の荘と称す。
  大連の死後、住民がその徳を慕い社を建て巨勢大明神として崇め奉った。
 その後、後鳥羽天皇建久五年(一一九四)源頼朝が諸国に守護地頭を置くにあたり、児玉
 三河守俊治が、この地の守護に任じられ、巨勢の地に居城を築き、崇敬する故郷の老松
 大明神・淀姫大明神・乙姫明神を合祀し、四社大明神と仰いだ。
  『肥陽古跡記』によれば「巨勢郷老松大明神は後鳥羽天皇のの勅願にして、筑前大宰
 府天満宮の末社なり、霊堅殊に新たにして、大友氏が来たり侵すや太守鍋島直茂(一五
 三八~一六一八)この社に参し、勝利を祈りしに、夜半その霊験により敵兵四散せる」
 と見えたり。
  この如く霊験著しければ鍋島家の崇敬篤く、社殿の造営を始め、祭資も藩主より供進
 せられたり。

境内由緒書きより

手水舎。

銅板葺き唐破風付入母屋造りの社殿。

拝殿前の二代目狛犬さんは岡崎型。

拝殿。

銅板葺き流造の本殿。

神橋。

そして神橋の前には先代の狛犬さんがまだ現役で頑張ってらっしゃいます。

寛政12年(1800年)生まれの狛犬さんでした。

残念ながら吽形の狛犬さんは顔の部分が欠け落ちてしまっていましたが、まだまだ仕事を頑張っておられます。

「松尾神社」。

松尾神社の祭神は、大山咋神(おおやまくいのみこと)で、本社は京都嵐山の松尾大社です。
松尾大社は京都最古の神社で京都西部の総氏神として崇敬(すうけい)され、開拓、土木、建築、商業、文化、交通、安産の守護神として仰がれ、特に醸造祖神として全国の酒造家、味噌、醤油、酢等の製造販売の人々の崇敬を集め、昔から酒作りの神様として有名です。創建は寛文七年光茂公建立とされていますが定かでありません。

境内案内板より

「稲荷大社」。

「三輪神社」。

この三輪神社の創建は延喜元年、市丸忠蔵建立といわれていますが定かでありません。
 本社は奈良県桜井市三輪山の大神神社(おおみわじんじゃ)で祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神(おおくにぬしのかみ))。三輪神社とも言われ、日本最古の神社です。
 国造りの神様として、農業、工業、商業、すべての産業開発、方除、治病、造酒、製薬、交通、航海、縁結びなど、世の中の幸福を計られた人間生活の守護神として尊崇されています。

境内案内板より

合祀神群。

境内遠景。

危うく通り過ぎてしまいそうだったのですが、肥前鳥居が目についてUターンして参拝させてもらいました。

こんなに由緒のある立派な神社とは思いもしなかったので、面倒くさいと思ったのですがこれならUターンして立ち戻った甲斐があったというものです。

さて、次はどんな神社や狛犬さんと出会えるのでしょうか。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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