須賀神社といえば、私の中ではアニメ映画「君の名は。」で有名になった、東京四谷の須賀神社が真っ先に思い浮かびました。
須賀神社は、日本神話で須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したことに由来する社名のようで、どうやら須賀神社という名前の神社は全国各地に結構あるようです。
そして、その須賀神社が佐賀県小城市にもあったことを、今日あらためて知ることになりました。

じつは、この須賀神社は私が高校生活を送った母校の近くにありまして、当時の部活の時にこの神社の階段を駆け足で上り下りしていたのですが、名前を「おぎおんさん」と呼んでおり正確な神社の名前は知らなかったのです。
この階段をご覧ください!

この階段上りは本当にきつかったw
当時は参拝などしたことはなかったのですが、今日は参拝のために訪れました。やはり昔とは少し変わっているのでしょうが、私にはほとんどその記憶がありません。


入口の二の鳥居前では昭和6年生まれの狛犬さんが迎えてくれました。
最近は、いろんな神社の狛犬を見るうちにすっかり狛犬さんのファンになってしまい、狛犬さんのスタイルや表情にも様々な種類があるのを知り、神社を巡るのが楽しくなってしまいました。
吽形はお尻を高く持ち上げて低く構えており、今にも飛び掛かって来そうな雰囲気です。一方の阿形は左足に玉を抱えていますが、どちらも大きく開いたくちからは鋭い牙が見えています。
はて、こちらの吽形も口が開いているのはなぜなんでしょう。これまでの吽形の狛犬とはちょっと違っていますよね。
そういえば、清水寺の狛犬さんも2体とも口を開いていて七不思議のひとつとされているので、我々凡人が簡単に分かることではないのかもしれませんねw



階段の上り口に、おみくじと昇運札が備え付けられていましたので、昇運札の方を一ついただくと「不撓不屈」のお札が出ました。
なるほど、この階段を諦めることなく登りなさいということなんだなw
昇運札を握りしめ、息切れと格闘しながら153段に挑戦します。

途中で撮影しようと思いちょいと振り返ると、これが結構怖くてなんとか手すりを持ちながら1枚撮ることができましたw
階段の途中にあるのが三の鳥居かな?

やっとのことで階段を登り終えました。
さて、正面から拝殿を撮ろうと思ったのですが、この急階段を背にしては怖くて撮れませんw

階段を3段ほど下り、かろうじて撮影したのがこれです。

これは境内横から撮影したもの。
階段を上り終えるとすぐに拝殿がありましたが、その両脇にはまた狛犬が鎮座していました。


こちらもまた精悍な顔立ちの狛犬ですが、隆々としている後ろ足の筋肉の描写がすごいですね!
下の狛犬を見たときにも感じたのですが、須賀神社の二対の狛犬はどちらも躍動感があり精悍さも感じます。これは石工さんの作風からなのでしょうか。
無事参拝を終え、拝殿横の境内で美しい紅葉をしばし愛でることもできました。



帰りは階段ではなく山道を使って下りることにします。

神社入口のところまで降りると「展望台」の案内板があります。どうやら展望台があったようですが、降りることに一生懸命な私たちはまったく気が付きませんでした。

ふと見ると、なんと肥前狛犬らしき姿が見えます!


右側が阿形は狛犬という雰囲気はあるのですが、左側の吽形は顔の部分もはっきりしません。
ただ、なんとなくユーモラスな感じがするのはやはり肥前狛犬ならではかもしれませんねw


肥前狛犬にも別れを告げて岐路に着きます。
駐車場に向かう途中の橋の上からは、夏は蛍が飛び交うであろう清流の祇園川が流れていました。

さあ、最後にもう一度あの階段をどうぞご覧ください!

須賀神社(旧 祇園社)由来
当社の御祭神は、無病息災・開運厄除・家内安全・五穀豊穣・産業振興の神として、古くから「おぎおんさん」と呼ばれ人々の深い信仰を戴いています。
由緒書きより
平安時代初めの延暦二十二(803)年ごろの書物には、当時、称されていた「清祠」という名前が記されています。
鎌倉時代の正和五(1316)年、肥前国の地頭として千葉胤定が、九州へ下向する際、京都の祇園社(現在の八坂神社)の御分霊を勧請し、この地に鎮座されました。
古い記録には、「肥前国佐賀・杵島・小城三郡の宗廟神社として栄える。」と記されています。
明治三(1870)年、社号を須賀神社と改めました。
本殿のある山頂からは、長崎の雲仙。熊本の阿蘇を見ることができ、眼下には清流の祇園川が流れており、源氏蛍が飛び交う夏の風情は、まさに一幅の絵のようだといわれています。
(後略)

高校を卒業しておよそ50年、部活の時に登ったのを最後に訪れたことはありませんでしたが、まさかこうして神社巡りでやって来るとは思いもしませんでしたよね。
「こんにちは」と、下りの山道ですれ違ったカップルが挨拶をくれた。
おそらく千葉公園の展望台にいくのであろう。当時とは違うものの、小城高校の制服を着た二人の後姿を見送りながら、遠き日の学生生活のころに思いを馳せたのでしたw
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